川田男爵の孫の清一さん、最後の墓参
update 2017/6/7 07:45
【北斗】「男爵いも」の生みの親として知られる川田龍吉男爵(1856−1951年)の孫、川田清一さん(84)=神奈川県在住=が6日、男爵が眠る北斗市三ツ石のトラピスト修道院を訪れた。清一さん自身も高齢のため、今回が最後の墓参と決め、息子の泰嗣さん(47)と来道。祖父の墓前に花とジャガイモを供え、静かに祈りをささげた。
清一さんは龍吉の四男吉也氏の子。幼いころから当別にあった川田家の農場で過ごすことも多く、「孫の中でも私が龍吉と一番長く一緒に暮らした。私が知っているのも高齢になってからだが、非常に頑固で主張を曲げない人だった」と厳格だった祖父の思い出を話す。
清一さんの友人で、同行した北斗市の高森琢磨さん(83)は吉也氏の目に止まり、45年から51年までを川田農場で暮らした。46年に男爵に初めて会った時の様子を「吉也さんに『お殿様にお目通りをしてきなさい』と言われた。恐る恐る部屋に入り、『なんじは今日から書生じゃ』と言われ、汗びっしょりでした」と振り返る。
修道院裏手にある墓地の墓石には龍吉と妻の春猪、二男吉雄の名が刻まれている。清一さんは「(身内で)龍吉を直接知る人もいなくなりました。ここに来ることができるのも最後でしょうね」と話した。
川田家は、土佐藩(高知県)の出身。龍吉の父小一郎(1836−1896年)は、創業期の三菱を支えたほか、第3代日銀総裁を務め、1895年に男爵となる。龍吉は21歳から7年間、スコットランドで造船技術や欧米式農業を学ぶ。横浜船渠(ドック)の社長を務めた後、1906年、函館船渠(現函館どつく)の経営再建を託されて来道した。
農業への関心も持ち続け、七飯・鳴川で試験栽培した作物の一つが「アイリッシュ・コブラー」というジャガイモで、後に北海道の土壌に合った優良品種として「男爵いも」と呼ばれるようになる。現在の北斗市当別地区では、大規模な農場も切り拓いた。長く、本州と当別を行き来する生活を続けていたが、最晩年の47年に当別への永住を決め、そのころにキリスト教に帰依。トラピスト修道院で洗礼を受け、51年に95歳で死去した。
その他の新着ニュース
- 生産性向上や魚種転換支援 函館市、イカ不漁長期化で新制度創設へ...2018/1/1
- 今年の道南首長選 北斗は選挙戦か 七飯は2氏激突...2018/1/1
- ひと足早く初詣=@大晦日の亀田八幡宮...2017/12/31
- 戌年準備万端 犬もおしゃれ...2017/12/31
- 年末年始の買い出しで市場、スーパーにぎわう...2017/12/31
- 2018道南経済予測 日銀、財務事務所のトップに聞く...2017/12/31
- (ニュースファイル2017)道南10大ニュース・上...2017/12/30
- 年越し、正月準備追い込み もち、そば…...2017/12/30
- 帰省ラッシュ本格化 新幹線、空港は混雑...2017/12/30
- 歳の市 年の瀬のまちに縁起物並ぶ...2017/12/29
ご注意:
●掲載している各種情報は、著作権者の権利を侵さないよう配慮の上掲載されるか、又は、各情報提供元の承諾の元に掲載されています。情報の閲覧及び利用については「免責事項」をよくお読み頂いた上で、承諾の上行って下さい。
●掲載中の情報の中には現在有効ではない情報が含まれる場合があります。内容についてはよくご確認下さい。