大惨事の教訓 後世に…函館大火から81年 利波、松村さん体験語る
update 2015/3/21 10:19
1934(昭和9)年3月21日に函館市住吉町から出火し、当時の市街地の3分の1を焼き尽くした「函館大火」から今年で81年。歴史に残る大惨事だが、大火の様子を知る人は少なくなった。そんな中、利波ヨシエさん(93)、松村キヨエさん(96)はともに記憶をとどめており、防火の大切さを訴えている。
「よく生き残ったものだ」と話すのは利波さん。豊川町でスルメやコンブなどを扱う海産問屋の長女として生まれた。
午後7時ごろ、近所の人が利波さんの家に駆け付けて「谷地頭の方が煙で大変だ。反対側に逃げろ」と言われ、12歳だった利波さんはランドセルに勉強道具を詰め込み、住み込みで働いていた人に手をつながれ必死に逃げた。大量の煙の中、どこに逃げていいのか分からず右往左往する人たちを避けながら、弁天町の親戚の家にたどり着いた。
翌日、むしろ1枚をかぶせられた遺体が大森浜から湯川方面まで、無造作に並べられていた光景は今でも忘れられないという。「これまでの人生で一番ひどい災害。またこのような災害を起こさないためにも、大火を教訓にして市民一人一人が火の用心を続けていくことが大切」と話す。
「周りを見渡すと建物が焼失し、遠くまで見渡すことができた。函館のまちが狭く感じた」と話すのは松村さん。厚沢部町にある旅館の6人家族の末っ子として生まれた。小学校卒業後、父親の知り合いの豊川町にある海産問屋に奉公に出た。大火発生時は15歳。何も持たずに逃げ「暗闇の中、火の粉が飛び散り、強風で看板などが道路に落ちていて怖かった」。
松村さんは奉公先の80歳すぎのおばあさんと一緒に、弁天町の知り合いの家に逃げ込んだ。住んでいた家も燃え、ぼうぜんとなったが「被災を逃れた店で服を買ってもらったことがうれしかった」と思い起こす。
市によると、大火では死者2166人、行方不明者662人、負傷者は9485人に上った。
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