ハコダテライフ 庶民の暮らしに温泉街の風情がミックスした町「湯川町1丁目」


庶民の暮らしに温泉街の風情がミックスした町「湯川町1丁目」
SIDE-B まちを歩けば

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取材に出かけたのは、2004年の明けた1月初旬。前日に雪が降っていたけれど、気温はそう下がらず過ごしやすい日の午後。「市民会館前」電停は人通りの多い「湯の川生協」の正面に位置しているので、市電に乗るヒトも、降りるヒトも多い。「湯の川生協」の前で、年配の女性2人組みの「(生協に)寄ってく?」「寄らね。あ、でもやっぱり寄るがな(笑)」という楽しげな会話が聞こえてきた。仲がいいな〜なんて、こっちまで楽しい気分に。なぜか、歌を口ずさみながら歩くお年寄りも多くみかけて、ほのぼのとしたり。海岸通りに向かってテクテク歩いていると、観光で来られている方々の集団や、巨大な観光バスが細い路地を所狭しと走っていく様がみられる。住宅街を歩いていると、日本各地の方言がちらほら聞こえたりして。なんだか、「ようこそ、函館へ」な気分になった。ちなみに、湯川町1丁目は立派な家が多く、あまりの豪華さに歓声をあげる観光客の方もいらっしゃった。そういう観光もアリなのね(^_^;/記・まちブラリ取材班

まちブラリ

市電通を湯川町2丁目方向に向かって歩いていると、突然「湯の川銘菓しゃんしゃん餅」の看板が視界に飛び込んできた。「丸美屋」という和菓子のお店。「しゃんしゃん餅ってどんなんですか?」という取材班の不躾な質問に、おかみさんは、丁寧に「きな粉のお餅ですよ」と、ニッコリ答えてくれた。1包140円で、中に、きな粉をまぶした立方体の小さなお餅が6ヶ。上品な甘さと、きざんだクルミの歯ごたえが感じがよく、いくつでもいけそうだ。ご進物にもピッタリ。

マンホールからたち昇る湯気!昼間にまちを歩いた時よりも、夜(というか、夜中)の方が温泉っぽい硫黄のニオイが強い気がした。マンホールから湯気が出るのは、さむ〜い北海道の温泉街だから当然といえば、当然だとは思う。だけど、実際に間近でみると、なんだかドラマのワンシーンみたいな気分に。テレビ番組によくある『湯けむり温泉OL3人旅』みたいな。
酒屋の「イチマス屋」。聞くところによると、その創業は古く、年配の方々の間では、渋谷のハチ公前並みに待ち合わせの場所になっているとか、いないとか。お店の中をのぞくと、普段飲んでるお酒から高級そうなお酒まで、たくさんのお酒が並んでる。ノンベエにはたまらない〜。
住宅街の真中に、公衆浴場「永寿湯」発見!写真を撮っていると首にタオルを下げ湯気を立てた方々が次々と「永寿湯」の駐車場に歩いて行ったり、温泉セット(シャンプー・タオルなどなど)を抱えた方暖簾をくぐっていったりと大繁盛のよう。気持ち良すぎて寿命が延びるから「永寿湯」!?ちなみに、湯温は低温が43度で高温が47度と、全国でも有数の熱さらしい!
市電通りから、海岸通りへ歩いて10分ほどのところに。突如として青々とした森が!「黒松林公園」だって。公園内はベンチや公衆トイレなどがきれいに整備されている。気候がよければ、絶好の森林浴+癒しスポットになりそーですよ。(写真は10月半ば撮影。)
地元の人たちの暮らしを感じる市電通りから一転、近代的なビルの温泉観光ホテルが並ぶ海岸通り。観光地のムードが漂う。ホテルの従業員の方々が、外で宿泊客を出迎えたり、見送ったりとキビキビと働いている様子が見える。「函館ってば、やっぱり観光地だったんだぁ〜」と実感できる。
まち歴史
語源はアイヌ語の「ユペツ」。「ユ」は湯や温泉という意味、「ペツ」は川である。「湯ははなはだあつからず。しかれども浴後ぬくぬくとして寒からず、崖下ゆえ清水の雑じる故なり。温泉の味少し苦し」と書き残されている寛永10年(1799年)の絵図もあり、湯川が、湯の湧き出る地であった歴史の古さがうかがえる。「湯川一丁目」は、亀田郡湯川村だった明治35年には「字鮫川」と表記されており、その後昭和14年に函館市に編入。当時の湯川町、湯浜町、鮫川町の三町が合併され、昭和35年、現在の「湯の川一丁目」となる。 ――参考資料:『新編 函館町物語』(幻洋社)
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