函館人模様・岡田菊江さん 5

update 2005/5/5 12:18

 岡田さんは子育て中、PTAや子供会育成会の役員として奔走。町の女性団体の役員や、昨年までは大平地区の老人クラブ会長を務め、今は大平町内会の副会長だ。

 一方で町議会の議員削減運動の先頭に立ったり、自宅前の国道228号で交通事故が頻発したことから、警察や行政機関に掛け合って規制強化を求めたこともある。考えたら即、行動に移す。

 「当たり前」のことを遠慮なく主張することもあり、何かと誤解されることもあるようだ。だが木古内の町を愛し、地域にも溶け込んでいる。

 岡田さんは、大正生まれの80歳にとても見えない。「還暦」と言っても通るほど若々しい。髪はほとんど染めず、日常生活の足は自転車。毎朝、1時間かけて愛犬2匹の散歩をしているため、足腰も衰えない。そして何より、笑い声が絶えない。

 知らない人からは「岡田さんはさぞ、苦労なく幸せな人生を送ってこられたのでしょうね」などと言われる。それも一つの誤解だ。戦中の防空監視哨での食事賄い、あすの命の保証がない東京での日々、空襲よけにスギの枝で作った「家」での生活、戦後は、乳飲み子を抱えた中での食糧確保…。子供5人は独立したが、それぞれ事故や病気も多かったという。

 「でも、どんなつらいことでも、経験しないよりは良かったと思うの」と確信している。山あり谷あり、土砂降りありの人生の中でも、岡田さんは苦労を糧として生きてきた。だから笑顔も輝く。

 人生の中で戦争体験が占めるウエートは、やはり大きい。文学少女が24歳に成長したとき、最初に書いた小説も、傷痍(しょうい)軍人の姿からイメージがわいた。「何かを伝えたい、という思いがきっと、戦争体験で築かれたんでしょうね」と振り返る。

 戦後60年―。今の子供たちについても心配している。「ゲームセンターなどで『殺せ!』と叫んで遊びに興じている姿が信じられない。今の子供たちは戦争をゲームのような感覚でとらえているのでは。戦争はすべきでない、怖いと知っている私たちの体験を、何らかの形で伝えることができれば」と願う。

 そして今、再びシナリオを書いている。「80歳にもなってそんなの書くのって笑われるような恋物語よ」とまた笑う。そして、人間はどのようにして生きていくかというシリアスなドラマを、いつか書きたいと考えている。

 最愛の夫、恒太郎さんは一昨年に亡くなり、三回忌を済ませた。「のんびりなんかしていられない。私の人生がどこまで続くか分からないけど、私一人に戻った人生をどこまでも走りたい」―。

 人生の指針となった後藤静香の「権威」に、次のような詩がある。

 「本気」

 本気にすれば

 大ていなことは出来る。

 本気ですれば

 なんでも面白い。

 本気でして居ると

 誰かゞ助けてくれる。

 人間を幸福にするために

 本気で働いて居る人間は

 みんな幸福で

 みんなえらい。

 (希望社・1926年、第8版)

 人生を支えた、ひとつの言葉だ。本は防空壕(ごう)の中に埋まっても、岡田さんの頭の中に焼き付いている。そして信念を持って、どこまでも書き続ける。

提供 - 函館新聞社



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