人模様・岡田菊江さん・3
update 2005/5/3 10:08
終戦後、着物と食糧を交換し、子供だけが唯一の支えだった岡田さん。「『人間はパンのみにて生くるにあらず』っていう言葉があるでしょ。でもね、本当にあのころはどう食べて生きていくかが命題だったの」
木古内にも引き揚げ者や復員兵がやってきた。青春時代に青春がなかった岡田さんの目は、この人たちの人生も見つめていた。「戦争がなかったらこの人たちはどうなっていただろう」「言うに言えない傷を負ったのでは」。そして「人間って何だろう」という問題にたどりつく。
衝撃的だったのは傷痍(しょうい)軍人だ。腕や足を失い、白い着物姿で一軒ずつ家を回り、施しを受けていた。ござに座って物ごいをする姿もあった。文学少女だった岡田さんの思索は深まる。「この人たちの青春は何だったろう」「この人たちに伴侶がいたら、満足して暮らしていけるだろうか」…。
そうした思いを24歳の時、小説に仮託してみた。ある雑誌社が小説を公募しているのを知り、原稿用紙30枚ほどにまとめた。―愛し合った男女が結婚で結ばれ、やがて夫が不慮の事故で下半身不随になる。妻の前に健常で魅力的な男性が現れ、関係が結ばれる。旅館で一夜をともにし、男性は妻に求婚。妻もその決意でいたが、最後は振り切って夫のもとへ戻る―。
「今ならただの不倫小説よね」と笑う。しかし、小説を出していたことも忘れていたころ、一通の封書が届いた。あなた様の小説が最終選考に残り、1票差で落選しました。またの応募をお待ちしております―とある。実は、初めて書いた小説だ。
普通なら、天にも昇る気分と賞を逃した悔しさが同居するところだが、「ああそうか」と思っただけという。「子供を育てることで忙しいからいいか、と思ったんです」。現に、小説を書いたのはこの1回だけだ。
ただ、「もし賞を取っていたら違った人生になっていたでしょうね」「子供がいなかったら、もう1回チャレンジしていたと思う」と、仮想の質問には答える。
しかし、実生活での岡田さんの目は、常に現実を見ている。「もし」で自身の人生を築き上げることはない。つらいことも楽しいことも現実として受け入れ、幻や夢想の世界に遊ぶことはない。「だって、本当に忙しかったから」…。恒太郎さんとの間に4男1女をもうけ、全力で育て上げた。
「文学賞という目標、つまり確実性のないものを追いかけるより、現実に生きている子供たちを育て上げる大事な仕事、親としての当然の義務があった。当たり前のことじゃない?」と、こともなげに語る。。
文学賞は大きな価値に違いない。ただ、世に普遍で不変の価値はないかもしれない。一般的に価値があるものでも、時と状況によっては全く価値がなくなるということもある。着物と米の交換でそれを知った岡田さんらしい価値観だ。
提供 - 函館新聞社
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