減り続ける函館の「県人会」/高齢化、転勤による短期滞在で同郷人の実態つかめず
update 2005/1/31 12:56
同郷出身者たちで作られる「県人会」。懐かしい言葉での会話は心を癒し、新年会や親ぼく行事は、郷土や身の回りの情報を得る貴重な場となる。新年を迎え、函館市内で開かれた各函館県人会の総会では、会の発展を誓う一方で、会員の高齢化や減少など、さまざまな課題への取り組みが話し合われた。中には、会員減に加え役員の多忙などから活動が休止状態の会もある。本道開拓、函館の商業発展のために尽力した先人たちによって築かれた県人会。2世、3世の代となった現在は、先人の労苦を語り、会の規模を維持することが困難な状況にある。
函館市秘書課によると、各県人会総会の案内状は以前、10―20通届いていたが、今年は現在までのところ秋田、福島、山形、滋賀の4県のみという。県人会が減少していることがうかがえる。
「子や孫の代となると函館出身者。祖父母らの県人会への興味が薄らぐのは仕方ない話」と各会は口をそろえる。
かつて200人以上の会員を抱えていた函館新潟県人会(高田弥彦会長)は現在、会員が約40人まで減少した。
道内各地に店舗を構える丸井今井の創始者、今井藤七や、函館市大町の平塚常次郎と手を取り、後の日魯(ニチロ)漁業となる堤商会を開いた堤清六は新潟県三条市出身。函館に潤いをもたらした2人は、新潟県から多くの従業員を呼び、県人会の会員数も多くなった。だが産業や雇用状況の変化に伴い、会員数は1950年代をピークに減少、高齢化が進んだという。
現在の会員の平均年齢は80歳に近い。昨年10月に発生した新潟県中越地震では、会員が被災者支援の募金活動を発案したが、高齢者が多く人が集まらず、募金活動を断念した。
高田会長(89)は「2世3世となると新潟県人会に興味を持ってもらうことは困難」と話す。
函館富山県人会はさまざまな問題、困難を乗り越えることができず、2003年から休会状態になっている。
昨年9月、北海道銀行(札幌市)と経営統合した北陸銀行の本社は富山県富山市。函館市内に支店は3つあり、函館との経済交流が盛んだったことがうかがえる。
50年代に函館に渡ってきた男性(75)は「最近、県人会から総会などの案内が来なくなった」と話す。事務局に状況を尋ねると「富山県にも会を登録しているが、今は有名無実状態になっている」という。
最後に会長を務めた男性(77)は「02年末、個人的理由で会長を退任した。その時、ほかの役員も多忙で会がまとまらなくなったようだ」と語り、会を運営する体力、時間を持てない厳しさを指摘した。また「転勤で滞在期間も短くなり、県人会に賛同する人が減った。会を若い世代へつなげられなかった」と話す。休会状態とは知らなかった男性は「解散した、という知らせが来ていない。私の中では会は残っている」と無念の表情だ。
かつては「移住」、現在は「転勤」。滞在期間が短く、県人会の存在を知らないまま転出することを会員減の要因とする声も多い。
そんな中、函館宮城県人会は約100人の会員を維持している。武山正温会長(75)は「結婚式など、人が集まる場所で『出身はどちらですか』と尋ねる」と同郷人探しに努めている。
函館山形県人会(阿部幸太郎会長)は昨年12月の函館市合併に伴い、旧4町村からの会員開拓を目指す。大石範雄副会長(66)は「会員は旅館業、建築業など多方面で活躍している。仕事のネットワークを使い県人を探して行きたい」と話している。70年代に130人だった会員は現在約70人。今年は創立80周年を迎え飛躍を誓っている。
また両県人会では「会の存在を示すため、さまざまな事業が大切」と話す。山形は「芋煮会」、宮城は「ずんだもち会」と、郷土の名物を名付けた会で小旅行や食事を楽しむ。両県の取り組みは、現在の会員が親ぼくを深めることが、新規会員の開拓という共通意識の醸成につながっているようだ。
県人会のみならず、現代は社会の連帯性が薄くなり、交流の場が少なくなってきている。いずれの会でも「維持、発展には常に新しい発想が必要」と話すが、何より会員の高齢化問題から始まる現状では、新たな展開はなかなか厳しい。そうした中、ある会長は「自分は県人会を通して仕事の人脈を築き上げた」と明かす。メリットも多いことをいかに若者や2世、3世に伝え、会の隆盛に結び付けるか、知恵の結集が求められている。
提供 - 函館新聞社
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