かすみ園の佐藤社長、日露戦争戦況を伝える号外200枚所蔵

update 2004/12/27 10:16

 函館市柏木町の「かすみ園」社長、佐藤政五郎さん(79)が、1904―05(明治37―38)年の日露戦争に関する詳細な新聞号外を所蔵している。日本軍の旅順攻撃から日本海海戦、米大統領の講和呼び掛け、戦後の混乱までの様子を伝える切り抜きが200枚以上。佐藤さんは「当局発表ですべて真実とは思えないが、当時はラジオもなく、新聞でしか戦況を知ることができなかっただろう。当時の世界情勢も伝わり、興味深い」と話している。今年は日露戦争開戦100年。

 号外は、佐藤さんが父の友人から第二次大戦後に譲り受けたものが大半。当時の函館毎日新聞の発行で、1枚物から切り抜きまで5冊のクリアファイルに収めている。記事は茶褐色に変色しているが、保存状態は良好。

 連合艦隊の東郷平八郎司令長官(海軍大将)が対馬沖でバルチック艦隊を破った「日本海海戦」(05年5月27―28日)では、「對馬附近に敵艦現はれ、次で砲聲(ほうせい)聞ゆとの情報あれば大海戦あるを推測するに足る。素より我艦隊の奮闘偉大の効果を治むるや確信して可なり(検閲済)」などと様子を伝え、国民を奮い立たせるような文面となっている。

 このほか「日軍の進軍」「露軍の背進」「敵の弾丸欠乏」などの見出しが紙面に躍る。一方で04年7月には「日本人排斥運動」などの記事もあり、京城(現・ソウル)発の電報で「開墾地問題の為め日本人排斥運動益盛なり」とある。日韓併合はその6年後。

 日本海海戦勝利後は日露講和条約に向け、当時のセオドア・ルーズベルト米大統領が「日露両国に對し彼我直接講和談判せん事を勧告す」などとした記事が見られる。両国は05年9月、ポーツマス条約に調印するが、日本はロシアから賠償金を取れなかった。これを屈辱的と思った国民が同月、東京・日比谷公園から暴動を起こし、号外では「東京市戒厳令」などの見出しで伝えている。

 佐藤さんは「資金援助など、米英を中心とした列強の力を受けて勝った戦争だと思うが、私の若いころは日本人だけの力で勝ったという風潮だった。『神国日本は必ず勝つ』という明治政府の教育が、のちの大戦につながったのかもしれない。いずれにせよ現在、こうした考えがはっきり言える世の中になったことはいいことです」と語っている。

提供 - 函館新聞社



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