“愛紙”に思いはせ・・・「函新会」が最後の総会
update 2004/10/4 10:04
戦後間もない時期に産声を上げ、1954年に幕を下ろした地域紙「函館新聞」―。廃刊後に当時の記者らが結成した「函新会」(佐藤潔会長)も、メンバーの高齢化などを理由に今年で解散することが決まった。このほど湯の川観光ホテル(函館市湯川町2)で開かれた最後の総会には、会員13人が出席。身近な話題と深い洞察力で、市民の信頼を勝ち得た“愛紙”に、思いをはせていた。
同紙は朝日新聞の協力紙として、46年11月に創刊した。「旧来の因習にとらわれず全く新しい民主的な新聞を」。高い志の下、総勢182人の手により2ページ建ての第1号が発刊した。1面には横4段ぶち抜きで、函館山から眺めた町並みの写真。「日本のホープわがふるさと函館」との言葉を添え、地域紙としての意義を説いた。
49年には「夕刊はこだて」と週刊「函新スポーツ」を新たに立ち上げるなど、取材分野も拡大した。連載企画として多大な人気を集めた「江差の繁次郎」のほか、各所で活躍する市民にスポットを当てた「人物色模様」「清談」などで、多くの支持者を獲得。
だが、資本力の乏しさ、他紙の機械力などに次第に経営は行き詰まり、54年5月に廃刊に追い込まれた。記者たちは、報道関係など各所に離散し、違う道を歩み始めた。
総会は今回で20回目。席上、佐藤会長は「元気なうちは、今まで同様、また顔を合わせよう」と複雑な面持ちで話した。市民のためにあった地方紙「函新」。ともに取材に駆け回った時代を、忘れぬようにと結成された「函新会」。出席者は心ゆくまで、思い出話に花を咲かせていた。
提供 - 函館新聞社
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