洞爺丸台風犠牲者の外国人宣教師の家族が来函
update 2004/9/27 10:08
50年前の洞爺丸台風事故当時、青函連絡船洞爺丸に乗船していて命を落とした外国人宣教師の家族が函館を訪れ、事故があった26日、上磯町七重浜の慰霊碑や函館市内の教会で祈りをささげた。1954(昭和29)年9月26日。アメリカ人宣教師のディーン・リーパーさん(当時33)とカナダ人宣教師、アルフレッド・ストーンさん(同52)は、船内で乗客たちを励まし、自らの救命胴衣さえも差し出したとされている。祈祷(きとう)会では、家族らが2人の生前の活動に思いをめぐらせた。
来函したのは、リーパーさんの妻、ミッジさん(83)=米国在住=と長男のスティーブさん(56)=同=、ストーンさんの二男、ロバートさん(66)と妻のジュデさん(63)=カナダ在住=の4人。事故から50年の節目に合わせて来日した。
当時、日本YMCA学生部に勤務していたリーパーさんは、北大に立ち寄った後、仙台へ向かうため洞爺丸に乗船。ストーンさんは、札幌から長野へ行くため事故に巻き込まれた。
台風の直撃を受け、激しい揺れに襲われた船内で2人は、生き残ったアメリカ人宣教師、ドナルド・オースさんとともに、乗客たちを励まし、われ先にと救命胴衣に手を伸ばしパニック状態に陥る乗客の中に入り、救命胴衣を配ったとされている。
家族4人は26日、午前10時半から日本キリスト教団函館教会の追悼礼拝、午後3時から上磯町七重浜の慰霊碑前で開かれた祈祷会に出席。地元信徒らと祈りをささげ、生前の2人の活動を振り返り、故人をしのんだ。
七重浜を訪れたロバートさんは「ここは特別な場所。きょうの穏やかな海を見ると当時の様子は想像できない」と感慨深げ。事故後、初めて函館に来たというミッジさんは「50年前、急に夫が死んで寂しかった。当時は、4人目の子供がお腹にいて大変だった。ずっと夫が亡くなったこの地に来たかった」と、万感の思いを語っていた。
提供 - 函館新聞社
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