「洞爺丸台風」50年前のあの日(6)
update 2004/9/25 16:57
怒濤(どとう)の台風と戦っていたのは、洞爺丸だけではなかった。9月26日夜、函館港内外では他の連絡船や一般商船18隻が台風の直撃に遭っていた。
このうち、第十一青函丸、北見丸、十勝丸、日高丸の貨物船4隻が沈没した。洞爺丸と5隻合わせて1430人もの命が奪われた。
日高丸に乗船していた福井千代三(34)は「ゴバンゴバン」という妙な音を今でも覚えている。探照灯で海上を照らすと、船首を見せてひっくり返った船が見えた。「あとで考えたら第十一青函丸だった」。海面には、救命胴衣や木材が散乱していた。福井自身もその後、海へ投げ出され、翌朝まで漂流した。
十勝丸の甲板部員、長部由男(30)は波にさまよううち、防波堤を乗り越え、港内に入り込んだ。救命胴衣を着け、漂流物につかまってはいたが、気を失っていた。気付いた時は小型船の上だった。着ていた服はワカメのように裂けていた。左手中指の第一関節から上を失っていた。9歳上の兄、竹司も同じ日、日高丸に乗船していた。兄は助からなかった。
壮絶な体験を経て、九死に一生を得た生存者たち。あの日から半世紀。自らの命が助かったからこそ、悲しみや苦しみは重く、その傷は深い。
「揺れてくると恐怖心が先に立って乗っていられない」と事故後、船を降りた人もいる。いまだに夢の中で波にもまれうなされるという人もいる。
「今年は台風が多かったが、台風15号と聞いただけで精神的に嫌。兄貴が亡くなっているからなおさら」(長部)。異常なほど台風に敏感だという人も少なくない。
台風15号(通称・洞爺丸台風)は特異な台風だったといわれる。道南で猛威を振るい大きな被害をもたらした今年の台風18号と重ね合わせた人も少なくない。いずれの台風も威力を保ちながら渡島半島に上陸し、函館の西海上を通過。突風を伴う「風台風」だった。
だが、洞爺丸台風の恐怖を目の当たりにした人たちは「50年前の方がすごかった」と口をそろえる。
函館海洋気象台によると、今年の18号台風は、函館で最大風速19・5メートル、最大瞬間風速41・5メートル。洞爺丸台風は、最大風速25・8メートル、最大瞬間風速41・3メートル。
「突風としては18号台風の方が大きかったが、洞爺丸台風は長い時間に強い風が吹き続けた。人の感覚でいうと洞爺丸台風の方が強く感じると思う」(函館海洋気象台)
気象予報技術や情報網が発達し、台風情報は一般市民でも瞬時に手に入る時代になった。それでも「細かい予想は今でも難しい。台風はコースが違うだけで(被害状況が)まったく変わってくる」(同)。自然の猛威に比べれば、人間はあまりに無力。油断や慢心は時に命取りにもなりかねない。
「自然の力を体で感じた。人間なんてひとたまりもない。思い出したくない記憶だけど、風化させたくない。でも、一般には50年たって忘れられているね」(二等機関士の川上昭夫)
「26日が近づいてくると当時がよみがえる。一生忘れることはない。函館の歴史として後世に語り継いでいかなければ」(調理師の秋保栄)
今年も慰霊の日がやってくる。ある者は碑に花束とたばこを供え、またある者は海にそっと酒を注ぐ。忘れられないあの日に思いをはせながら。
(文中敬称略、年齢は当時のまま)(おわり)
提供 - 函館新聞社
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