函館空襲のすべての犠牲者名慰霊碑に刻みたい
update 2004/7/15 10:41
函館空襲を記録する会(浅利政俊代表)は、戦後60年を迎える来年の慰霊祭に向け、戦没者を新たに掘り起こし、慰霊碑に名前を刻もうと活動を始めている。函館空襲の犠牲者については、はっきりした統計がなく、慰霊碑に名前があるのは犠牲者の一部でしかないという。同会では「このままでは風化してしまう。地域の歴史的事実をきちんと見直さなければ」と、協力を呼び掛けている。
1945(昭和20)年7月14、15の両日、アメリカ軍の戦闘爆撃機が函館港や函館市街地を襲撃、船舶や家屋を破壊し、多くの死者や負傷者が出た。
同会では、この函館空襲を記録し、後世に語り継ごうと、聞き取り調査などを続ける一方、1989年に称名寺(函館市船見町18)境内に慰霊碑を建立。毎年、慰霊祭を開いている。
3基ある慰霊碑には、同会が確認できた函館空襲犠牲者として、現在の函館西小学校付近で被害にあった23人、函館駅近くの防空壕で亡くなった23人の名前を刻んでいる。また、米兵21人の名前もある。
函館市史編纂室の資料では、函館空襲の死者(陸上)は79人とあるが、浅利代表は「これは埋葬許可証が確認できた数。実際はこれ以上いる」と指摘。「沖縄の平和の碑のように(犠牲者)すべての人の名を刻みたい」とし、新たに判明したものから順に、慰霊碑裏へ名前を加えていきたい考えだ。
ただ、空襲から半世紀以上経過している上、刻名には家族の許可が必要になることなどから、「民間団体で取り組むには限界がある」という。
浅利代表は「戦争というのは庶民の犠牲の上にある。空襲はどんなことをしても後世に体験させてはいけない。次の世代へ平和をつなぐメッセージとして、平和のとりでを作りたい。犠牲者の家族などは名乗り出てほしい」と話している。
浅利さんの連絡先は、〒041―1135、七飯町緑町16の4、TEL0138・65・7354。(早坂直美)
提供 - 函館新聞社
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