箱館戦争時の砲台台座?発見

update 2004/7/15 10:41

 【上磯】1868(明治元)年―1869(同2)年にかけて繰り広げられた箱館戦争の際に、砲台の台座に使われたとみられる石がこのほど、上磯町当別1の法円寺(竹橋淳一住職)の敷地内で見つかり、関係者を驚かせている。

 発見された石は、平面が正方形で一辺約50センチ、高さが約30センチ。角すい形をしており、平面部分は人工的に削られた形跡がある。同寺の裏側にある高さ約30メートルの高台から転げ落ちたものと推測され、同寺の住居拡張工事中に建設業者が地中に埋まっているのを見つけた。

 この高台は江戸時代、現在の税関の役割を持つ「船改所」が設置されていた。法円寺の近所に住む郷土史研究家、鵜飼克己さん(73)によると、箱館戦争時には、旧幕府軍が箱館港に進入しようとする新政府軍の船を迎撃する目的で、砲台を築いた場所という。

 鵜飼さんは「当別は当時、天然の良港として知られた場所。箱館戦争の時には新政府軍の船が夜間に停泊し、明け方に箱館港へと出て行ったのでは」と分析。加えて「当時の大砲は遠くまで届かなかったので、新政府軍の船を威嚇するためではないか」と話している。石は当面、法円寺で保管される。

提供 - 函館新聞社



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