函館産業遺産研究会が函館要塞の全容明らかに
update 2004/6/29 10:12
明治時代、函館山に作られた函館要塞(ようさい)の調査・研究を進めていた函館産業遺産研究会(富岡由夫会長)はこのほど、5年間にわたる活動を終え、函館要塞の全容を明らかにした。御殿山第1砲台、千畳敷砲台、穴澗低地観測所など、要塞施設は15カ所あり、それぞれで榴(りゅう)弾砲や火薬庫などの設備や建物跡を確認した。施設の状態も比較的良く、同会では「観光名所(函館山)に要塞施設がほぼ完全な形で残っているのはほかにない」と、函館要塞の価値をあらためて評価。今後は保存・活用の必要性なども訴えていきたいとしている。
函館要塞は、函館湾へのロシア侵攻を防ぐため、明治政府が1898年に着工。終戦後の1946年まで函館山は入山禁止とされた。その後、山頂には53年に展望台、57年からテレビ塔が建てられている。
同会の調査・研究は2000年にスタート。最初の2カ年で穴澗や立待岬などの海浜部、その後の2カ年で薬師山や入江山などの山間部を調査し、昨年から今春にかけては最も規模が大きい、御殿山第1砲台、御殿山第2砲台、千畳敷砲台を調べた。現場では、平面図や航空写真と現存する建物、遺構を照らし合わせて寸法を測り、概略図や鳥観図を作成。各施設の構造や現況を明らかにした。
同会によると、函館山山頂に位置する御殿山第1砲台には、28センチ榴弾砲2門を備えた長円形の砲座が2基、直線上に並んでいた。砲座の間には地下弾丸庫があり、砲座をはさんだ左右に2カ所、観測所が置かれていた。現在、駐車場として利用されている土地の下には、アーチ型のトンネルがあり、砲台へつながるトンネルは閉鎖されているものの、光を取り込むための吹き抜けスペース、湿気を逃すための通気筒などが残っているという。
富岡会長は「御殿山第1砲台の地下構造物など、しっかりした形で残っている。これをどうするかは将来的な課題。函館要塞について、市民はほとんど知らないし、調査もされてこなかった。今後の保存・活用をどうすべきか提案していきたい」と話している。
同会は、これら調査・研究の結果を会報「函館の産業遺産」にまとめる一方、7月3日午後2時から函館市大森町のサン・リフレ函館で開く第9回研究発表会で一部を紹介することにしている(参加費500円)。
提供 - 函館新聞社
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