ヨットで太平洋縦断航海から3年ぶりに無事帰還した錦田信昭さん

update 2004/6/13 09:50

 2001年5月からヨットでほぼ太平洋を縦断する単独航海に挑んでいた錦田信昭さん(64)=函館市西旭岡町=が12日、函館に無事、帰還した。約3年・1000日以上にわたる洋上の“大冒険”は、ヨットの故障や米同時多発テロで足止めを食うなど苦労の連続だったが、錦田さんの熱意と立ち寄った各地で得た多くの出会いや支えがゴールに導いた。錦田さんは「大変なこともあったが、自分がこの目で見て体験したことは貴重な財産」と、日焼けした顔を充実感と喜びでいっぱいにしている。

 錦田さんは定年退職を5年後に控えた55歳の時にヨットを始めた。その後長さ37フィート(約11・28メートル)、重さ8・5トンのヨットも購入。退職した2000年には陸奥子夫人と2人で日本1周航海もしている。

 今回の大航海は、出発する前年に鹿児島県のヨット仲間が達成したルートを知り、そのまま挑戦した。2001年5月15日に函館を出航。釧路を経てアラスカからカナダ、アメリカ、メキシコと南下し、タヒチ、トンガ、ニュージーランド、ニューカレドニア、パラオなどを経由、石垣島に入り、北上して函館に戻った。

 1人旅は苦労の連続だった。当初は釧路からアラスカのアッツ島を目指したが、高波や雨で断念。前のセールのワイヤが切れるなどのアクシデントもあり、ダッチハーバーという港に何とか着いたのは出国からほぼ1カ月後のことだった。海域もわからず船酔いで6キロやせた」。

 また、米ワシントン州・ポートエンジェルに到着したのが同年の9月11日。くしくも米同時多発テロがあった直後で、再入国審査を受けることができず満足な食料がないままヨットで1日を過ごした。錦田さんは「正直、引き返したいと思うことも何度もあった」と振り返る。

 だが、アラスカでは現地の人から壊れた個所の代わりの部品や食事の調達を受けるなど、訪れる各地での出会いや援助が錦田さんを支えた。旅を重ねるごとに友人が増え「寄港ごとに送る絵はがきは当初30枚ほどだったが、最終的には60枚にもなった」と話す。

 函館には当初11日早朝に着く予定だったが、プロペラシャフトが折れるトラブルがあり、12日正午過ぎ、仲間の船にえい航されてようやくたどり着いた。陸奥子夫人や友人が迎える中、3年ぶりの函館の地に足を下ろし、再会を喜び合った。

 海外で出会った仲間と日本で再会する約束もしており、「とてもいい思い出ができた」と笑顔で旅を振り返り、苦楽をともにした愛用のヨットを眺めていた。

提供 - 函館新聞社



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