森町鷲ノ木5遺跡で縄文中期の竪穴住居発見
update 2004/5/25 13:37
【森】縄文時代後期約4000年前)とみられる道内最大の環状列石(ストーンサークル)が見つかった森町の鷲ノ木5遺跡で、環状列石周辺から住居跡の一部が出始めている。24日までに、同時期の竪穴住居2基に加え、縄文時代中期(約6000年前)とみられる竪穴住居4基が見つかり、集落が少なくとも縄文中期から存在していたことが明らかになった。このほか、穴を掘っただけの土坑墓も3基発見された。町教委は「縄文中期の住居が出てくるとは想像外。十数基は見つかるのでは」とみている。
竪穴住居が見つかったのは、環状列石から南東に約20メートル下の地点。住居は長径2―3・5メートル、深さは縄文中期のものが約35センチ、後期が15―20センチ。構築時期は現段階で断定できていないが、後期の竪穴住居は石組みの炉を持っており、炉のない中期と区別される。土坑墓が造られた時期は明らかになっていない。
町教委によると、周辺の鷲ノ木4遺跡からは、縄文前期、中期、後期の土器などの遺物が出土しているが、一連の鷲ノ木遺跡から縄文中期の住居跡が見つかったのは初めて。
同5遺跡について町教委は、環状列石ができる前に一度、集落が形成されていたとみている。
環状列石との関連では「住居は平たん部を占拠するので、祭祀(さいし)の場所は自然に山の上を選ぶ。緩やかな山を削って土木工事をする高度な技術を伴っており、都市のような形態の一大集落があったのでは」としている。
宗 ・・旬r
道の相馬秋夫教育長は24日午前、鷲ノ木5遺跡を初めて視察し、道内最大規模の環状列石を現状保存する考えをあらためて示した。
相馬教育長は、現地で森町教委の藤田登学芸員の説明を受けながら視察。「大きさと、石がきれいに並ぶ様子が印象的だった」と語り、その上で「貴重な遺跡であり、大切に現状保存したいという気持ちを新たにした。地元や関係機関と相談し、国にも支援を要請して、できる範囲のことをしたい」と述べた。
また、現在道路公団との間で進められている、遺跡の取り扱いをめぐる協議については「一つの方法としてトンネル化というアイデアがあるが、まだ(内容を)詰めなくてはならない。地元との相談と並行して進めたい」と述べるにとどまった。
提供 - 函館新聞社
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