鷲の木4遺跡内、「階層社会存在か」

update 2004/3/14 13:05

 【森】縄文時代後期の鷲ノ木4遺跡内で、土坑墓群と配石墓が同じ台地から出土していたことが、13日までに分かった。土坑墓群は斜面で、配石墓は台地の上でそれぞれ発見され、土坑墓群が配石墓を守護するような配置。森町教委は「上位の者を下位の者が守っているような位置取り。当時の社会に階層が存在したのでは」と注目している。

 地面を素掘りした土坑墓は、舌状の台地の突端部で27基見つかった。墓穴は直径1―2メートルで、高低差約10メートル、幅約40メートルの範囲で帯状に広がっている。縄文後期前葉(約4000年前)から同中葉(約3500年前)のものとみられる。

 表面に石を置く配石墓は、同じ台地上の平たん部で1・4メートルと1・8メートル四方の2基が発見された。同時期に造られたと推測されている。

 同遺跡内ではこれまで、長さ35bの石垣状遺構が発見されている。土坑墓群がある斜面を囲むように延び、外側の平たん地には、住居跡を思わせる発掘があった。同教委は同遺構が居住空間と墓域の境界になっていた可能性を指摘する。

 また、隣接する鷲ノ木5遺跡では宗教的な役割を果たしていた可能性がある、大規模な環状列石(ストーンサークル)も見つかっている。同教委は「住居、墓、祭祀(さいし)の区域が分けられていたとみられる。縄文前期からの発展を示す貴重な史料」と話している。

 同4遺跡の各遺構は道縦貫道工事のため、記録が取られた後、取り崩され、現在は残っていない。

提供 - 函館新聞社



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