近代夜明けの街、全国へアピール
update 2004/1/2 11:12
函館日米協会は、創立10周年を迎えた2001年から、ペリー来航150周年へ向けた事業に取り組んできた。150年の節目の年には、出前講座でペリー来航の意義を伝えるほか、5月15日には日米食文化の祭典、ペリーが来航した同17日には記念式典などを予定している。野田義成会長は「仕上げの年。ペリーが函館にもたらした文化・歴史影響を認識し直して、函館の魅力の再発見につなげたい」と、記念事業に意欲を見せている。
同協会は一昨年の5月、元町のペリーの銅像建立に中心的役割を果たした。同10月には「黒船来航フォーラム」を開き、ペリー艦隊が演奏した曲を発掘した。昨年10月には、来航150周年記念事業の実行委員会を立ち上げ、記念式典などの準備を進め、今月中にはアウトラインがまとまる。
「大砲を突きつけ、開国を迫ったペリーには悪いイメージがあるが、ペリーは威かくの空砲しか撃っていない。侵略や占領の意図を持った別の艦隊の来航であれば、日本や函館の姿は全く違っていた」と野田会長。1858年に結ばれた日米修好通商条約は、不平等条約として明治政府などを苦しめたが、ペリーの日米和親条約は、燃料や水、食料の補給のための開港を求め、日米関係の第1歩を築いた。
ペリー来航150周年を記念して、昨年12月には横須賀で開国祭が行われ、今年は下田などペリーゆかりの地で次々と記念事業が行われる。野田会長は「日本の近代夜明けの街として、絶好の機会を逃すべきではない。幕末から明治維新に掛けて、数多いドラマの舞台となった函館を全国にアピールしたい」と、ペリー来航150周年を未来へのスプリングボードとして大きく期待している。
提供 - 函館新聞社
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