秘境ツアー・寒川で夏のひとときを楽しむ会

update 2003/8/3 11:07

 昭和30年代まで、函館山の裏側にあった集落・寒川。手つかずとなっている自然を楽しもうと2日、「秘境ツアー・寒川で夏のひとときを楽しむ会」が、有志の手によって行われた。あいにくの雨模様だったが、市内近郊からの参加者が海岸沿いの自然を満喫、集落南側にある洞くつも探検しながら“函館市内最後の秘境”を満喫した。

 ツアーは一昨年に続き2回目で、寒川に興味・関心を持つ地元有志(福留太郎団長、丹野磨智子世話役)が企画。市内のほか、上磯や七飯から予定人数を上回る44人が参加した。

 昭和40年代まで、寒川海水浴場への定期航路を運航していた共同通船(小林俊夫社長)の協力で、渡船3隻に参加者が分乗。午前10時、中央ふ頭を出発し、30分ほどで到着。まずは福留団長から上陸地点の地層などについて説明があった。

 今回の目的は、集落の南側にある洞くつの探検。住民たちが掘ったとされる洞くつは、上陸地点から300―400メートル先にあり、内部は高さが最大で約1・8メートル、約16メートル先で行き止まり。前回は一部の参加者が訪れただけで、今回はほとんどの参加者が奧まで足を踏み入れ、内部の様子や自生する植物に興味をひかれていた。

 2000年に著書「寒川」を発行し、寒川や函館の地質に詳しい大淵玄一さん(78)=市内中道=は、前回、足を踏み入れることができなかった洞くつ内部を調査。地質について「海底で堆積(たいせき)した凝灰角礫岩(ぎょうかいかくれきがん)で、200―300万年前のものとみられる」との見解を示した。

 あいにくの雨で参加者もずぶぬれに。それよりも、なかなか訪れることができない場所だけに、好奇心がくすぐられるのか、段々畑や冷泉、石垣などを見学。切り立った山、目の前は海―と厳しい環境にあった、かつての集落に思いをはせていた。

 以前から訪れたかったという、市内豊川町の大良一史さん(26)は「険しい土地で住民の苦労は大変だったのでは。今回のことを函館の歴史として、語り継いでいきたい」と、初めて足を踏み入れた寒川に感激。世話役の丹野さん(51)=七飯町大川=も「予定人数を上回り、みなさんの関心の高さがうかがえる。また次回も企画できれば」と話していた。

 寒川集落―函館山の裏側に位置し、1884(明治17)年、富山県から来た水島和吉らが居を構えたのが最初とされる。最盛期には30戸が軒を連ねたが、1954(昭和29)年の洞爺丸台風で大打撃を受け、その3年後に最後に残った住民が離れて以来、無人。集落は海岸沿い約400メートルにあったとされ、穴まから掛かっていたつり橋がなくなったため、今では海路や山越えのルートでしか足を踏み入れることができない。

提供 - 函館新聞社



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