函館空襲時の大門被害状況を1冊に

update 2003/6/14 10:27

 「函館空襲を記録する会」の浅利政俊代表(72)=道教育大函館校非常勤講師=はこのほど、詳細な調査や記録がなかった、同空襲時の大門地区の被害状況について文書にまとめた。現在の松風町12にあった旧国鉄「松風町第1鉄道寮」(元・能登川肉店兼食堂)の爆撃被害など、資料や当時の住民らの証言を基に克明に記録した。浅利代表は「貴重な証言を基に、せい惨な被害が浮き彫りとなった。いま一度、平和の尊さをかみしめて」と話している。

 同会は1987年、終戦間際の45(昭和20)年7月14、15の両日にあった、同空襲の調査を進めている。調査は西部地区が中心だったが、これまでにも断片的に大門地区の被害情報は入っており、大門地区の被害調査をまとめることも目標にしていた。

 一昨年4月、JR北海道労組から、函館駅の空襲状況の講演依頼があった際、情報を整理していくうち、今回の文書作成を思い立ったという。

 今回、まとめた文書は「平和学習のための戦後58年米軍機による函館市大門地区(若松町・松風町・大森町)空襲の検証」と題した、A4判全39ページ。

 当時の付近住民ら計11人の証言を掲載。「鉄筋コンクリート3階建てだった、松風町第1鉄道寮は、爆弾の直撃で外壁だけが残った」「成田山の境内には多数の遺体が並んでいた。空襲に遭った函館駅桟橋の防空ごうの救助作業では、片方だけの腕や足、顔だけが土から出て、悲惨だった」「いつ死ぬか分からない毎日、あの恐ろしさ。平和な世の中は何よりの宝」など、当時の様子を生々しく伝えている。

 また、七飯町や函館市の戸籍資料などから判明した、松風町や大森町での空襲犠牲者11人の一覧表も掲載。証言を基に、40(同15)年の函館新聞(当時)に掲載された大門地区地図に、空襲被害状況を書き込んだものも作製した。

 文書は20部作製し、市立図書館などへ配布済み。浅利代表は「身近な市内での空襲の歴史を通じ、平和教育に役立ててほしい。本町や谷地頭町など、市内のほかの場所でも被害があったと聞いている。さらに調査を進めていきたい」と話している。

提供 - 函館新聞社



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