上ノ国ワシリ遺跡で掘、橋脚跡など確認

update 2003/9/24 10:11

 【上ノ国】擦文時代後期(10―11世紀)の製鉄工房跡とみられる遺構が出土した、上ノ国町汐吹のワシリ遺跡で23日までに、工房や住居跡を囲む空堀や土塁、堀を横切る橋脚の跡が確認された。発掘を進める同町教委は、外部からの攻撃に備えた遺構であると確認。東北から本道にも勢力を広げた蝦夷(えみし)同士の間で発生した、鉄資源や本州からの交易品の争奪をめぐる緊張の高まりを反映している可能性もあるとみている。

 9月上旬からの発掘調査では、幅5・6メートル、最深部が約2・2メートルの空堀を確認。断面がV字形になった薬研(やげん)堀の形態を示し、堀の両側には掘った土を積み上げた土塁も築かれていた。

 堀を斜めに横切る橋を支える橋脚とみられる直径約12センチの柱穴も16カ所で出土。柱穴の間隔から橋げたは幅約3メートル、長さ約4メートル前後と推定される。約1・5メートル間隔で並んだ4列の柱で支えたとみられる。

 発掘を担当する斉藤邦典学芸員は「中世の勝山館と比べても橋の規模が大きい。堀の内側には製鉄工房とみられる竪穴が約20カ所、住居跡もあり、製鉄に携わる大勢の人や原料が行き来したのではないか」とみる。

 同遺跡は日本海側に突き出た段丘上にある。両側を谷に囲まれ、工房や住居を中心に、敵の攻撃に備えた堀や土塁、木製のさく列をめぐらせるなど、極度の緊張状態にあったことをうかがわせる。

 こうした遺構は、東北地方での蝦夷と朝廷の衝突に伴う緊張が本道にも波及した可能性を示している。その一方で斉藤学芸員は「鎌倉時代初頭、本道と本州の交流が途絶えた時期がある。この時期に多発した蝦夷間の抗争は、鉄を含む本州からの交易品の争奪に関係したのではないか。厳重に防御された場所で製鉄にかかわる技術者集団が暮らし、鉄製品を生産していたのではないか」とみている。

 工房跡に隣接する住居跡では、本州で多用された鉄鍋の代用品で、道内で作られた「内耳(ないじ)土器」も出土。本州からの文化的影響を強く示唆しているという。

 同町教委は、昨年度から文化庁の50%、道から25%の補助を受けて、同遺跡の詳細分布調査を開始。昨年度は約200平方メートル、本年度は10月末までに約500平方メートルを対象に発掘調査を進める。

提供 - 函館新聞社



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