谷地頭弾丸庫保存へ

update 2003/5/3 13:15

 函館要塞(ようさい)の残存施設の一つで、道内最古の鉄筋コンクリート建造物とされる、津軽要塞司令部の弾丸庫(函館市谷地頭町2、道営住宅谷地頭団地敷地内)が、貴重な歴史資料として保存されることが決まった。道が進めている同団地の建て替え工事で一時、封鎖されかけたが、函館産業遺産研究会(富岡由夫会長)の働き掛けでその姿が残ることに。道による函館山の軍事遺産の手入れ保存は初めてで、同研究会は「行政による保存という例が作られ、今後の保存運動にも弾みがつく」と話している。

 同研究会によると、平屋瓦ぶきの弾丸本庫が1905(明治38)年10月に建てられ、その周囲にも5棟ほどの弾丸庫があったという。今回残されるのは、唯一の鉄筋コンクリート造りで現在まで残っている1棟。

 幅10・2メートル、奥行き3・5メートル、高さ3・4メートルの規模で、中央の壁で2つの部屋に仕切られ、それぞれの部屋に鉄製の扉が付いている。はがれ落ちたコンクリート内の一部に柱となる鉄骨が確認できるほか、内部には天井の重さを支える梁(はり)もある。同研究会は「日本の鉄筋コンクリートの技術は1905年前後に始まったとされており、軍の施設だけに当時の最新技術が用いられたと考えられる。道内では最古といえるが、国内でもかなり早い時期の建造物だったと推測できる」とし、2001年5月に道に施設の保存を願い出た。

 道では同年12月から翌年10月まで(終了)と、今年2―8月までの2期に分けて同団地を建て替えることにしており、同弾丸庫の構築技術を知らされていなかったため、2期目の工事時期に入り口側にブロックを積み上げて封鎖する予定だった。しかし「同研究会から弾丸庫が価値の高い軍事遺産であることを指摘された」(渡島支庁経済部建設指導課)ことから、第2期工事開始までに保存することを決め、先月下旬にその旨を同研究会に伝えた。

 弾丸庫は老朽化した鉄扉を含めて既存部分をすべて残し、入り口2カ所に玄関フードのようなアルミ製の両(観音)開きのドアを取り付け、傷みの激しい鉄扉を保護する。今月中にも着工する予定。

 このほか、同じく団地敷地内にあった昭和天皇の行啓記念碑(1936年)も、既に同場所に保存されており、同司令部関連の遺産が2つ残されることになった。

 同研究会の富岡会長は「これまでの活動が評価されたことに加え、道のしっかりとした対応がうれしい。函館山にはまだたくさんの軍事関連施設があるので、今後の調査活動の励みにしたい」と話している。

提供 - 函館新聞社



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