間宮林蔵 福島町で測量 道内初の行動記録発見
update 2014/10/21 10:10
【福島】江戸時代の探検家・間宮林蔵(1780?〜1844年)が、1813(文化10)年に測量のため吉岡村(現福島町)を訪れたことを示す資料が町福祉センター内の永田文庫で見つかったことが、20日までに分かった。間宮が道内で測量を行ったとする行動記録の発見は初めて。伊能忠敬研究会(東京)の中塚徹朗さん(56)=福島町在住=は「伊能忠敬が作成した日本地図の道内部分全ては間宮の測量データを用いていた、とした説を後押しする貴重な発見」と話す。
発見された資料は、吉岡村教育会が1913(大正2)年に編纂(へんさん)した「吉岡郷土誌」。同誌の宮歌村(1906年に吉岡村と合併)のページに「文化十年四月 間宮林蔵道路測量ノタメ来村」、備考欄には「草分日記」からの出典であることが記されている。
今回の行動記録は、福島町史研究会の米塚誠さん(66)が自身の研究のために永田文庫を訪れた際に発見。米塚さんは「草分日記は村の大事な出来事を記した備忘録のようなもので、そこに書かれていたことを郷土誌に写したのでは」と推測する。
これまで、日本初の実測地図である「大日本沿海興地全図」(伊能図)は、北海道南岸部分が伊能、北岸が間宮の測量によるものとされていた。
しかし、研究会は今年8月、道内全てが間宮のデータによって作られたとする新説を発表。伊能が1800年に南岸を測量したデータと、21年後に完成した伊能図の画像を重ねた結果、ほとんど合致しなかったことを根拠に、「伊能の門人であった間宮によって測り直された可能性が高い」とした。ただ、これまで間宮が再測量したというはっきりとした記録が見つかっていなかった。
中塚さんは「出典元とされる草分日記が見つかれば、間宮の行動がさらに明らかになる可能性もある」と伊能図研究の進展に期待する。
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