洞爺丸の惨事「語り継ぐ」…事故から60年 北斗で法要

update 2014/9/27 10:35


 【北斗】国内の海難史上最多の犠牲者を出した洞爺丸台風事故から60年の節目を迎えた26日、1447人の犠牲者を追悼する法要が、北斗市七重浜の台風海難者慰霊碑と七宝寺の寂光塔前でそれぞれ行われた。遺族の高齢化が進む中、参列者は事故を風化させず、語り継いでいくことを誓った。

 1954(昭和29)年9月26日、函館湾にいた洞爺丸、北見丸、日高丸、第11青函丸、十勝丸の青函連絡船5隻が台風で沈没、多くの遺体が七重浜に打ち上げられた。事故は青函トンネルが建設される契機にもなった。

 慰霊碑での法要は、青函連絡船殉職者遺族会(富樫淳次会長)と函館市仏教会の主催で61回忌。僧侶10人が読経し、遺族ら約80人が焼香した。JR北海道函館支社の安藤健一支社長も参列した。

 富樫会長(75)は「節目を迎え、語り継ぐ人は高齢者ばかり。青函連絡船を知らない世代も増え、事故が風化されつつある。惨事を決して忘れず、交通に関わる人々の安全を誓う場として、法要をこれからも続けていきたい」と話した。

 北見丸の通信長として乗船し、事故で行方不明となった松屋明さん(当時34歳)の妻・奈々江さん(85)=函館=は「知らせを受け、遺体確認のため七重浜や穴澗海岸へ向かったが姿はなかった。毎年遺体があがるようにと、船の形を模した灯籠に火をともして流したこともあった。とてもつらい時期を過ごしたが、息子と娘を育てていくため一生懸命生きてきた」と涙ぐんだ。

 七宝寺(油井清量住職)でも法要があり、遺族ら約80人が集まり、犠牲者の冥福を祈った。

 事故当時、共同墓地内では126体の遺体が荼毘(だび)に付され、骨が拾い切れないほど散在したという。僧侶がお経を唱える中、参列者が寂光塔に手を合わせ、故人をしのんだ。油井住職(62)は「60年前のきょう、この地で大きな事件があったということを後世に伝えるためにも法要を続けていきたい。子どもや孫の世代にも、この日を伝えていってほしい」と呼び掛けた。

提供 - 函館新聞社

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