箱館奉行所 かわら版発行 新館長・田原さん
update 2014/5/27 10:15
五稜郭の観光・学習施設「箱館奉行所」は、情報発信を強化しようと「かわら版」の発行を始めた。4月から館長に就任した田原良信さん(61)=元市立函館博物館長=が、かわら版発行日と同じ日にあった出来事を紹介。幕末から明治にかけての話題を振り返りながら、奉行所がどのような役割を果たしたかを伝えている。
箱館奉行所は19世紀初め、蝦夷地防衛などの目的で江戸幕府が設置。当初は現在の元町にあったが、日米和親条約による箱館開港を経て五稜郭に建設された。幕末の箱館は江戸幕府の直轄地で、奉行所は徳川家の出先機関だった。
そうした関係を理解できるのが、4月17日のかわら版「五稜郭の鎮守府である東照宮の造営」だ。1865年、箱館奉行所の北東に東照宮が造営されたが、これは江戸城の北に徳川家康をまつる日光東照宮が造営されたのと同じであることを伝える。
奉行所が江戸城の代行機関であることを伝えるのがが、4月22日の「箱館奉行・杉浦兵庫頭の五稜郭着任」。1866年の奉行交代の儀式に臨む杉浦の衣装や、どの部屋に誰が控え、新旧奉行の引き継ぎが行われたかを伝える。
1869年の「箱館戦争終結、五稜郭の明け渡し」を伝えるのは5月18日のかわら版。16日までの新政府軍の猛攻撃で、旧幕府軍は全面降伏を決定。17日に旧幕府脱走軍総裁・榎本武揚、陸軍奉行・大鳥圭介らが、新政府軍へ五稜郭を明け渡すことを約束した。18日、7カ月に及ぶ箱館戦争が終結する。
いずれも当時の文書や日記などの史料を基に、田原館長がまとめた。「奉行の交代式は江戸からの指令通りに動き、儀式で徳川家への忠誠を誓っている。また、奉行所と東照宮の関係から、徳川家康に対する崇拝が強かったことがわかる。そうした情報を発信し、奉行所に足を運んでくれる人が増えてくれれば」と願っている。
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