きょう函館大火80年 炎の波 必死に逃げた 防災の大切さ訴える
update 2014/3/21 09:59
1934(昭和9)年3月21日に函館市内で発生し、2166人の命を奪った函館大火から80年。当時12歳だった東川町在住で町会長の角谷隆一さん(92)は「とにかく必死に避難した。火が消えるころには服も焼けて穴だらけ、火傷もしていたが、どうにか家族で無事に翌朝を迎えられた」と振り返り、防災の大切さをあらためてかみしめている。
大火時は栄町に住んでいた角谷さん。家は材木店で家族6人暮らし。通っていた弥生小の卒業式を目前に控えていた。
その日は風が強く冬の寒さなどもあり、家の窓を閉め、さらに板戸で覆っていた。外の様子はほとんど分からなかったという。「外が騒がしくなったので、見てみたら、西別院(本願寺函館別院)の屋根が真っ赤に燃えているのが見えた。すぐに家の方にも来るだろうと感じた」。
家財道具などを積んだリヤカーを引き、家族で家を飛び出した。強風が吹き荒れ、切れた電線が波打ち、屋根のトタン板に巻き付くほどだった。「大森浜に逃げろ!」という声を聞き、風上の大森浜へ急いだ。避難してきた人でごった返していた大森浜だったが、風向きが変わって火の海に。膝丈ほどの炎が地面を覆い、風が吹く度に炎の波となって押し寄せた。「とにかく熱かった。どんどん岸壁側に追い詰められ、海に飛び込む人もいた」。
迫りくる炎を耐えしのぎ、迎えた翌朝。持ってきた家財道具は全て焼け、手元には仏壇の掛け軸などがわずかに残っただけだった。自宅も焼け落ち、何もなくなってしまった。
角谷さんは「もう80年経ったのかと思うばかり」と感慨深げに話し、「あれから函館は防災のまちとして発展してきたが、東川町会には70歳以上の高齢者が多く、何かあれば簡単には避難できない。何らかの対策が必要ではないか」と訴える。
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