68年前函館で捕虜生活 ヒーアさん来函 戦災者悼む
update 2013/10/19 10:06
68年前に函館市内の捕虜収容所に入っていた米国人元捕虜のロバート・ヒーアさん(91)らが17、18の両日、亀田港町にあったとされる第2派遣所(収容所)など縁のある市内6カ所を訪れた。ヒーアさんは「第二次世界大戦が終わり、母国に帰れて本当にうれしかった」と懐かしそうに振り返った。
ヒーアさんは1945年3月16日に同所に入り、6月7日までの約3カ月間、函館に滞在。有川埠頭(ふとう)までの約1・5`を歩き、船で運ばれてきた食品や石炭など荷物の積み降ろしに従事させられた。楽な仕事ではなかったが、他の収容所に比べて「函館の収容所は一番すばらしい場所だった」という。
郷土研究家の浅利政俊さん(82)=七飯町在住=の案内で、17日は第2派遣所や有川埠頭、同所で亡くなった英国人捕虜の名前を刻んだ慰霊碑がある永全寺(昭和)を巡った。
18日は、函館捕虜収容所本所の跡地(船見町)に足を運んだ。浅利さんが当時の所長である江元茂夫さんについて話すと、「彼のことはよく覚えている。彼は『日米関係は非常に大切なもの、戦争が終わって帰ったら友達になりたい。どうか憎まないでほしい』と言っていた。帰ったら、という言葉を聞けてうれしかった」と笑顔を見せた。
続いて、仮収容所として機能していた元函館検疫所、函館空襲戦災者を祭る慰霊碑のある称名寺に赴き、「人類が続く限り、不幸なことだが戦争は続くのだろうね」と戦災者を悼んだ。
「函館に来られて本当にうれしい。いろんな思い出がよみがえってきた。今回のいい記憶を、これからもずっと覚えていきたい」と話し、浅利さんは「ヒーアさんからは、命を大切にするという思いや、違いを認め合い、共に生きることを教えてもらった。今を生きる子どもたちに、戦争の残酷さだけでなく、こうした思いを伝えていきたい」と話していた。
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