「共存共栄できる」 駒井さん3度目の北方墓参

update 2013/8/15 10:35


 択捉島(えとろふとう)水産会代表管理役で、北方領土の返還運動に長年携わってきた函館市の駒井惇助さん(79)がこのほど、3度目の北方墓参で択捉島を訪れた。駒井さんは「ロシア人は日本人の風習を厳粛な態度で見守っていた。共存共栄はできる」と話し、領土返還への思いを強くしている。きょう15日は68回目の終戦記念日。

 駒井さんは、曾祖父が幕末に択捉島に渡り、明治政府から漁場の払い下げを受けた。終戦時は弥生小学校6年生で、4島に住んだ経験はないが、開拓者の血を引く“島民”だ。北方墓参は15年ぶりで、ビザなし交流にも2回参加している。

 北方墓参は道主催で、択捉島には遺族32人が参加し7月29〜31日の日程で行われた。道の漁業取締船「北王丸」で根室を出港し、択捉島の内岡(なよか)に入港。曾祖父の弟の墓がある年萌(としもえ)などを訪れた。

 戦後68年を迎え、墓標も墓石も見当たらなかったが、花輪や祭壇を設置して慰霊祭を執り行った。日本の伝統的な風習を見守るロシア人の姿が感銘的だったという。「これまでの墓参では、ロシア人は私語を交えたり姿勢を崩して見ていたが、今回は厳粛な態度で見守り、日本人に敬意を払っていた」と駒井さん。

 墓参後はロシアの受け入れ団体が、予定になかった昼食会を企画。その厚意に墓参団は驚き、ロシア側の友好を感じた。真珠湾攻撃で連合艦隊の出撃港となった単冠湾(ひとかっぷわん)の沿岸で、スープやイクラ、焼き肉、ウオツカなどの飲食を囲んだという。

 一方、北方領土を実効支配するロシアは、4島で港湾や空港、道路などのインフラ整備を進めている。ただ、駒井さんが見た択捉島では、はしけで入港した内岡周辺の開発が目についた程度という。韓国企業が建設したと伝えられる桟橋があり、水産と建設の企業ギドロストロイの社員寮、海事関係の合同庁舎などがあったが、「にぎわいは感じられなかった」。

 内陸部の開発は、見た限りでは進んでいなかったといい、手つかずの自然が残されたまま。砂利道を延々と進み、単冠湾近くの天寧(てんねい)にある旧日本軍の飛行場跡地には、ロシアの戦闘機の残骸が残っていた。

 広大な島と、残された大自然を目に「島で漁場の親方(網元)をしていた自分の家のルーツをしみじみと感じた」と駒井さん。15年前と比べ、ロシア人の友好と誠実さを特に感じたと回想し、語った。「4島返還の道のりは厳しいが、島民は日本人と共住することには賛成するのではないかと思った」−。

提供 - 函館新聞社


前のページにもどる  ニュースをもっと読む


ご注意:
●掲載している各種情報は、著作権者の権利を侵さないよう配慮の上掲載されるか、又は、各情報提供元の承諾の元に掲載されています。情報の閲覧及び利用については「免責事項」をよくお読み頂いた上で、承諾の上行って下さい。
●掲載中の情報の中には現在有効ではない情報が含まれる場合があります。内容についてはよくご確認下さい。

ページ先頭へ

e-HAKODATE .com
e-HAKODATEは、函館市道南の地域情報や函館地図、旅行観光情報、検索エンジンなど、函館道南のための地域ポータルサイトです