啄木忌 妻・節子の関係語る
update 2013/4/14 10:07
函館ゆかりの歌人、石川啄木(1886〜1912年)の命日に当たる13日、函館啄木会(岡田弘子代表理事)による「啄木忌」が函館市住吉町の東海山地蔵堂で営まれた。追悼講演では石川啄木記念館(盛岡市)の学芸員、山本玲子さんが、啄木と妻・節子の関係について語った。
啄木の102回忌に当たるこの日は、関係者や市民ら約50人が参列。法要は参列者一人一人が焼香した後「石川啄木一族の墓」へ移り、墓前に花を手向け、手を合わせた。
山本さんは講演で、啄木と節子が13歳のときに出会い、恋愛が御法度だった時世の中で互いに思いを募らせたと紹介。「節子さんは女学校に通うモダンな女性。新しいことが好きな啄木の目に留まったのだろう」とした。
1905(明治38)年の結婚後に啄木が節子への愛情をローマ字でつづっていたことや、上京後に節子が家出し、啄木が恩師に当てた書簡で、家出にうろたえる心情を吐露していたことを説明。「啄木は節子さんを通じて、自分自身の思いを確認していたのではないか。節子さんがいてこそ、啄木は素晴らしい作品が残せたのでは」と結んだ。
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