京都の竹内さん、新島八重の前夫・川崎尚之助と函館との関わり小冊子に
update 2013/1/3 01:00
京都市在住の竹内力雄さん(79)が、6日に放映が始まるNHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公新島八重の初婚の相手、川崎尚之助(1837〜75年)について書いた小冊子「八重の夫・川崎尚之助の真実」をまとめた。コメ調達に奔走し函館へ渡った様子が記され、函館と川崎の深い関わりを解き明かしている。
竹内さんは、元同志社社史史料編集所(現社史史料センター)職員や明石短期大学(現神戸ファッション造形大学短期大学部)講師などを務めた。同志社大校友会機関誌「同志社タイムス」(月刊)に、昨年4月から連載中の文を若干手直しして小冊子(B5判32ページ)を作成した。
2011年、道立文書館(札幌)で川崎に関する史料が見つかり、竹内さんが史料の複写を入手して調べた。
川崎は兵庫県但馬の出石藩出身。会津藩士だった1868(慶応4)年に、八重らと戊辰戦争の会津籠城戦で新政府軍に立ち向かったが、その際に行方不明になったとされる。その後、仲間と斗南藩(青森県)に移り、飢餓を救おうと奮闘。藩の意を受け、函館に渡って外国米と収穫予定の大豆との交換契約を結ぶが、コメの手形を差し押さえられたため蔵から出せなくなった。契約不履行によって外国人商人らに提訴された。
竹内さんは「川崎は飢餓を放っておけず、自分一人の意思での契約だとして自らを犠牲にする。見事なる侍というべきだ」と指摘。川崎が自らの身を犠牲にした背景については「出石藩は小さな藩で、会津藩で教べんを取っていた川崎にとっては大変な出世。藩に対して恩義を感じていたのだろう」と推測する。
ドラマでは川崎を長谷川博己さんが演じる。竹内さんは「八重の会津時代にとって川崎はメーンとなる人物。ほとんど知られていなかったが、世の中に知れ渡れば鎮魂になるのでは」と話している。
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