新島襄の偉業たたえる
update 2012/7/18 10:44
函館から国外脱出を決行し、帰国後に同志社大(京都)を創設した新島襄(1843〜1890年)の偉業をたたえる「第13回海外脱国記念祭」(新島襄・パトスの会主催)が17日、函館市大町の海外渡航の地碑前で開かれた。同会の千代肇代表は、同志社に対する函館市の医学部誘致について「私は大いに賛成」と歓迎の意向を示した。
千代代表は1864(元治元)年に、新島が脱国までの2カ月間、函館にあったロシア病院で目の治療を受けていたことを紹介。「新島は日本の病院との違いに驚き、医学に対して大変な関心を持ったのではないか」と指摘した。新島が制定した「同志社社則」には医学部の設置が明記されており、「望みを果たせずに亡くなったが、その時の構想がずっとあった」と述べた。
市企画部の担当者が、医学部誘致の経過や、同志社側の検討状況などを説明した。
新島は、7月17日(旧暦6月14日)に大町の海岸から米国船ベルリン号に乗り込み、密航に成功。同会は新島と、新島の大きな志に共鳴し脱国を手助けした函館人・福士卯之吉(のち成豊)の見識をたたえ2000年に設立。記念祭には約30人が参加、献花や記念撮影を行った。
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