新島襄の志を心に刻む、「海外渡航の地」で碑前祭
update 2012/6/15 11:38
同志社大(京都)を創立した新島襄(1843―1890年)が、1864年(元冶元年)に国禁を犯して脱国、渡米したのを記念した「海外渡航の地」(函館市大町)で14日、碑前祭が行われた。卒業生や市民ら約30人が、原点である函館で新島精神≠あらためて心に刻んだ。
学校法人同志社の主催、函館市が後援。同志社から大谷實総長、市から片岡格副市長が出席した。讃美歌を合唱した後、大谷総長が「日本の将来のためにあえて国禁を犯し、出国する新島の志が鮮明に浮かび上がる。同志社の原点である函館との連携を強化することは、双方にとって有意義であると確信している」と式辞を述べた。片岡副市長もあいさつした。 カレッジソング合唱後、大谷総長、片岡副市長、同志社校友会函館クラブの濱谷信彦会長が地碑に献花した。
新島は1864年6月14日夜半、地碑前から小舟で沖に出た後、湾内に停泊していた米国船ベルリン号に乗り込んだとされる。
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式典後、13日に市役所を訪れ、市が同大に打診している医学部誘致構想について工藤寿樹市長と会談した大谷総長が報道陣の取材に対し、「情報を集めるプロジェクトチームをつくっているが、具体的に検討する段階に至っていない。市長にも説明し、理解してもらった」と述べた。その上で、医学部設置が新島の宿願だったとし「新島の精神を受け継ぎ、できればかなえたいと思っているが、膨大な金がかかる。そう簡単にはいかない」と述べるにとどめた。
また、関西は医師が充足している現状から、候補地として「関東、北海道、新潟なども考えないといけない。函館、(新島が最期を迎えた)神奈川県大磯町は非常に縁が深いので、候補地として当然考えられる」とし、函館との連携を一層強化していく考えを示した。
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