150人がしのぶ「遺志継ぐ」高田嘉七さんお別れ会
update 2012/1/22 10:22
函館の開発と北方開拓に尽力した江戸時代の豪商・高田屋嘉兵衛の7代目子孫で、昨年11月に亡くなった高田嘉七さん(享年79)のお別れ会が21日、函館市船見町の称名寺で開かれた。市民のほか、喪主で妻・三葉子(みよこ)さん(東京)や遺族、高田屋嘉兵衛の出身地・淡路島(洲本市)の関係者ら計約150人が参列し、故人の遺徳をしのんだ。
高田さんは1932(昭和5)年帯広市生まれ。中央大経済学部卒業。北方歴史研究協会理事長、北方歴史資料館(末広町)館長などを歴任。北方領土の産業や外交に関する調査研究のほか、高田屋関係の文化的遺産の管理や研究に尽力した。
お別れ会は市民有志が世話人となり、菩提寺である同寺(須藤隆仙住職)で開催。初めに山那順一世話人代表が「民間の外交官として、日ロ友好発展のために多大な功績を残した高田さんが亡くなったのは大きな損失。安らかにお眠りください」とあいさつ。続いて、淡路島やロシアで活躍した様子を紹介するビデオが紹介された。
須藤住職らが読経する中、参列者は焼香を行い、遺影や遺骨に向かい静かに手を合わせ冥福を祈った。その後、高田屋嘉兵衛翁顕彰会(洲本市)の砂尾治会長、箱館高田屋嘉兵衛資料館の石塚與喜雄名誉館長、南北海道史研究会会長の須藤住職が弔辞を述べた。須藤住職は「函館市民は高田さんの遺志を受け継ぐことが大切」と語った。最後に遺族代表として三葉子さんが「時々、嘉七の話相手として墓を訪れてください」とあいさつした。
参列した市内の女性(66)は「北方歴史資料館にある、高田屋に関する貴重な資料を守り、伝えていくことが市や市民にとって高田さんへの恩返しになる」と話していた。
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