大農高に学徒勤労動員慰霊碑を建立

update 2011/12/3 10:50


 「国のために同年代で死んだ先輩を忘れず、平和を守ってほしい」|。大野農業高(広海拓校長)で2日、1945(昭和20)年の学徒勤労動員から帰郷後、約1カ月の過酷な労働による疲労や栄養不足などで亡くなった3人を追悼する慰霊碑の建立とサクラの植樹が行われた。同校関係者や動員に参加した卒業生、遺族ら20人が参加し、若くして亡くなった3人に哀悼の意を捧げた。

 学徒勤労動員は、東条内閣が43(同18年)に閣議決定した「学徒戦時動員体制確立要綱」などに基き、少年少女を軍需産業や食糧増産の現場に送り、労働を課した政策。同校卒業生で、函館市湯川町3の無職・表信一郎さん(84)によると、表さんらは45年2月、琵琶湖干拓事業への動員令が下り、2〜3年生の約70人が本道の農業高校の生徒とともに滋賀県彦根市に向かった。起床時のシラミ退治、重労働の干拓作業、戦局悪化で食事は粗末で、生徒は劣悪な生活環境で病魔に侵された。

 作業が終了した3月中旬、1日以上かかった帰郷の列車の中で、当時2年だった表さんは同級生の川井芳三さんの様子について「一点を見つめ、言葉に反応しなかったことが脳裏に焼き付いている」と振り返る。川井さんは帰宅後の4月3日、高熱に脳炎症状を併発し他界。2年生だった伊藤市清さん、3年生の久保精一さんも結核などで、同年中に亡くなった。

 同校では41(同16年)創立から70周年の記念事業の一環として慰霊碑を建立した。碑はカラマツ材で、高さ150a、幅25a。表さんと、同校卒業生で植樹したサクラ「九条誓願桜」を作出した桜研究家・浅利政俊さん(80)らが寄付。建立式で広海校長は「生徒は本校黎明期に動員され、亡くなった3人のことを忘れず、平和の尊さを伝えてほしい」、浅利さんは「この碑やサクラが平和を訴える一助となれば」と話していた。

 表さんは「私も死んでいたかもしれないと思うと、感無量の思い」、川井さんの妹で函館在往の敏子さん(79)は「立派な碑に感謝します。大農の生徒たちは先輩のことを忘れないでほしい」と語った。

提供 - 函館新聞社


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