森町大火あす50年 前消防団長・阿部さん振り返る
update 2011/10/22 10:35
【森】1961年10月、当時の市街地の約3分の1を焼失した「森町大火」から、23日で50年を迎える。幸いにも死者はなかったが、2238人の被災者を出し、住宅や商店など554棟、4万4664平方メートルが焼失。損害額は22億円を超え、戦後の道内では岩内大火(後志管内岩内町、54年)に次ぐ大惨事となった。当時を知る前消防団長の阿部邦夫さん(70)=御幸町=は「火災はすべてを持っていき、大きな不幸に陥ることを目の当たりにした」と振り返った。
阿部さんは当時、家業の古物商に従事。深夜の火災にもサイレンの音で早い段階に気が付いた。「火元近くの町立病院に親類が入院中で、助けようと様子を見に行った。その時は遠くの火事という気持ちだったが、次第に強風で火の勢いが増したので、慌てて帰った」と話す。
一家は、小型トラックに家財道具を積み込み、数百b離れた新川町の倉庫へ避難。2度目の荷物を積んでいる最中に自宅付近にも火の手が迫り、倉庫も危険と判断し、家族と荷物を載せ、尾白内の親族宅へ身を寄せた。多くの住民も着の身着のまま、リヤカーなどに荷物を載せて、燃えさかる町を逃げ回った。
自宅も倉庫も全焼し、見渡す限りの焼け野原となった。阿部さんは「目標物もないので自宅の場所も分からず、後片付けの必要がないほど。がく然とした」と語る。
阿部さん一家は、2週間後には倉庫跡地に仮設の家を建て、翌年には自宅を再建。上台町や常盤町には仮設住宅が建てられ、にぎわいを見せた町の中心街は様変わりした。多くの町民が町の再生に情熱を注ぎ、大火の3年後には復興記念行事が行われた。「若い世代も多く、愛着のある森町をみんなで何とかしようという機運があった」。
大火から3年後、消防団に入団。火災の怖さを知る一人として、数多くの現場へと足を運んだ。2003年から消防団長を務め、今年3月に勇退した。阿部さんは「復興を支えたのは町の大先輩たち。この50年で、世の中も変化し、厳しい状況だが、今、頑張っている世代には森町を元気のある町にしていってもらいたい」と期待を込める。
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森町消防本部は23日午後2時から、森町消防防災センターでセレモニー「森町大火から50年を迎えて」を開き、防火、防災への誓いを新たにする。
◆森町大火◆ 1961年10月23日午後11時45分ごろ、森町本町の商店街付近から出火。24日午前2時35分には瞬間最大風速15・8メートルを記録するなど、西からの強風にあおられて、一挙に市街地へと拡大した。当時の消防体制は職員18人、消防団員93人、車両6台と可搬動力ポンプ4台。消火活動は難航し、隣接する砂原や八雲、遠くは函館、上磯、長万部など10市町村から車両23台、約230人が応援に駆けつけ、24日午前7時になって鎮火した。
この大火で、消火活動中の消防団員2人が重傷を負い、軽傷者78人を出した。焼け出された住民の多くは森小学校で避難生活を送り、全国各地から救援物資や義援金が届けられた。
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