大町の函館「最古」の民家

update 2011/9/23 12:17


 函館市大町にある民家が、1876(明治9)年に建てられた土蔵造りの茶屋だったことが、函館で郷土史を研究する中尾仁彦さん(69)の調べで、このほど判明した。周辺を何度も襲った大火から焼け残り、これまで最古とされていた建物より歴史があることや、後に初代函館区長となった常野興兵衛(正義)が営んだ東北・本道一の茶屋であることが明らかになり、関係者は驚いている。

 今年7月、常野の次男の子にあたる故植松千代さんの孫(常野の玄孫)である市内の主婦木立慶子さん(49)から中尾さんに、植松さんが子供のころに住んでいたという同建物と、常野について問い合わせがあった。木立さんは祖母から古い建物と聞かされていたが、年代を調べる方法が分からず、郷土史コラムなどで活躍する中尾さんに依頼。中尾さんは常野の三男の孫(常野の曽孫)に当たるが、2人はこの時、初めてお互いの縁を知ったという。

 中尾さんは同建物の屋根裏に上がり、幅約7メートル、高さ約50センチの板に「明治九年四月十二日 十三代 常野興兵衛建造」と書かれた棟梁(むねばり)を見つけ驚いた。1910(明治43)年に発行された文献に掲載されている当時の写真と外観は似ているものの、周辺は1879(同12)年12月6日、07(同40)年8月25日などの大火で焼失している地域であるため、さらに調査を進めた。

 すると、79(同12)年12月12日発行の新聞で同建物の茶屋は延焼を免れ、商売をしているとの広告が掲載されていることや、植松さんが木立さんに「大火時、店舗や内蔵は窓や入り口をみそで目張りして、焼失しなかった」と語り継いでいることが分かり、76(同9)年建築であることが裏付けられた。現存する建物では、79(同12)年建築の旧函館博物館1号館が函館(旧亀田を除く)最古とされていたが、それを塗り替える発見となった。

 常野は1838(天保9)年生まれ。20歳で独立し木綿売りから始めて、大町に茶屋を開業。豪商として知られるようになり、79(同12)年10月、初代区長となり、消防隊編成、函館公園開設、豊川病院開院などに尽力した。

 外観は和風で、現在の外壁、屋根はトタン板で、内部は改造されているが、雨漏りなどのしみは無いという。市立函館博物館の田原良信館長(59)は「和洋折衷の建物は明治10年以降のもので、このシンプルな造りはそれ以前のものと考えられる。昭和9年の大火で焼け残った古い土蔵作りはあったが、以降に解体されたものが多く、現存を発見できたのは貴重。建物内に火を入れなかったことが大きい」と話す。

 実際に棟梁を見た、函館の歴史的風土を守る会の吉村富士夫副会長(67)は「文字、材木ともきれいで、大火での延焼は考えられない」と話す。さらに吉村さんの調査では、建物の基礎には北前船が空の状態時に重りとして使ったバラスト材が使われている可能性が高いという。南北海道史研究会の須藤隆仙会長(81)も驚く。「大町は江戸後期から豪商などが住んでおり、土蔵造りの建物も多かった。この建物は古いものとは思っていたが、大変な発見だと思う」と話す。

 木立さんは「長年の謎が解けてすっきりした。中尾さんとも知り合うことができ、祖先に感謝です」と喜ぶ。中尾さんは「自分は好きな郷土史研究に力を入れただけ。常野についてもっと調べたい」と話す。須藤会長は「函館では今回のような発見ができる場所がまだあると思う」と話している。

提供 - 函館新聞社


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