函館空襲を記録する会が船舶犠牲者の碑 建立へ
update 2011/8/26 10:09
「函館空襲を記録する会」(浅利政俊代表)は、函館市船見町の称名寺(須藤隆仙住職)境内に、1945年7月14、15日の北海道空襲で、津軽海峡などを航行中に船が撃沈されて犠牲となった人を悼み、碑を建立する。浅利さん(80)は「戦争当時に石炭輸送などに関わる中で命を落とし、平和の礎となった人を追悼したい」と話している。
同会は1985年から函館空襲に関する詳細な記録を調査し、惨事を風化させないように活動を続けている。同寺には、同会が函館空襲慰霊祭を始めた89年7月14日に「第二次世界大戦 函館空襲戦災跡地 戦災者慰霊碑」を、2001年9月に「札幌鉄道郵便局・函館郵便室職員殉職者慰霊碑」を建立した。
浅利さんは、06年ごろから青函連絡船の戦災状況について調査を始め、08年には、長崎県佐世保を出港した第219号海防艦が45年7月15日に恵山岬の東41.7キロを航行中、艦載機により撃沈され、194人が犠牲になったことを突き止めた。函館には青柳町に「青函連絡船殉職者慰霊碑」はあるが、浅利さんは「港町函館として、護衛艦など連絡船以外の船舶で犠牲になった人のためにも碑は必要」と考え、開戦から70周年の今年7月、同寺に願い出て、須藤住職らの許可を得て、新しく建立することが決まった。
碑は「北海道空襲による津軽海峡、噴火湾、陸奥湾、船舶犠牲者の碑」とし、碑文には49隻の船名と各犠牲者数(計約1250人)が記される。碑に記名は行わず、名簿を作成し、閲覧を可能とする予定。除幕式は9月24日を予定している。
さらに今年7月、浅利さんは戦争に関する研究をしている友人から、財団法人戦没船員の碑建立会が72年に発行した「戦没船員名簿」(国立国会図書館蔵)により、青函連絡船・飛鸞丸に戸山正庄さん、第4青函丸に茂山登さんといった、それぞれ韓国の東南部にある慶尚北道(キョンサンプクト)出身の通信士がいることを知らされた。「創氏改名によって名前が変わったと思われるが、驚いた」と振り返る。
浅利さんは「須藤住職の協力もあり、碑が建立できた。供養することは最大の平和活動とも言われるので、市民や在日の韓国の人にも訪れてほしい」と話している。
ご注意:
●掲載している各種情報は、著作権者の権利を侵さないよう配慮の上掲載されるか、又は、各情報提供元の承諾の元に掲載されています。情報の閲覧及び利用については「免責事項」をよくお読み頂いた上で、承諾の上行って下さい。
●掲載中の情報の中には現在有効ではない情報が含まれる場合があります。内容についてはよくご確認下さい。