なでしこ・熊谷選手の祖父母「よくやった、最高の孫」

update 2011/7/20 10:27


 「紗希、本当に頑張ったね」―。サッカー女子ワールドカップ(W杯)決勝のPK戦最終キッカーとなり、「なでしこジャパン」の世界一を決めた熊谷紗希選手(20)の祖父で函館市在往の銀佐久さん(86)と妻のトシさん(77)が19日、函館新聞社の取材で孫の健闘をたたえた。

 熊谷選手の父敏夫さん(54)は函館東高(現市函)出身。バドミントン選手としてインターハイでも活躍していた。熊谷選手は札幌市で生まれ、幼いころから敏夫さんゆずりの負けん気や、友だちへの思いやりが強かったという。「幼稚園の時は自分のおやつを友だちに分けてあげ、小学生の時は勉強や競争で負けたら家で大泣きしていた」とトシさん。

 熊谷選手は小学校3年の時にサッカーを始めた。当時、大会で函館を訪れた時、「じいちゃん、今からお金ためておいて。紗希は大きくなったら、外国に行くから」と語ったという。「自分の夢をかなえた。最高の孫」と2人。

 なかなか函館には来られず、最後に会ったのは3年前という。今大会、銀佐久さんらは全試合、テレビ観戦した。チーム最長身171センチの守備の要。姿が映るたびに名前を呼び続けたと言う。熊谷選手は大会前の親善試合で頭部を5針縫うけがを負い、初戦は頭に包帯を巻いて出場。トシさんは「髪が長くて、まとめたのかと思った」と振り返る。熊谷選手は両親らを心配させないように、けがを伝えていなかった。

 決勝戦のPK。4人目で登場した時は「まさか紗希とは。ハラハラした」と2人。決めた時は飛び上がって喜んだという。「私の名前(銀)以上、孫は金メダルを獲得した。こんな幸せはない」と銀佐久さん。

 熊谷選手は8月から、ドイツ1部のフランクルトに移籍する。「将来は、沢(穂希)選手のように、なでしこを引っ張る存在になってほしい。そのためにもけがをせず、ドイツでプレーして。頑張ってね紗希」。トシさんは壁に貼った孫の写真に語りかけた。

提供 - 函館新聞社


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