函館空襲慰霊祭、犠牲者の冥福祈る

update 2011/7/15 12:10


 函館空襲の犠牲者を追悼する慰霊祭が14日、函館市船見町18の称名寺で行われた。札幌や千葉県、市内近郊の遺族ら15人が参列し、犠牲者の冥福を祈り、平和への思いを改めた。

 函館空襲は1945年7月14、15の両日、米軍機の攻撃で函館西部地区や大門、青函連絡船などが被害を受け、多くの死傷者が出た。慰霊祭は、「函館空襲を記録する会」(浅利政俊代表)が1989年から毎年実施している。空襲経験者の語り伝えや記録調査などを続け、恒久平和を訴え続ける。

 参列者は同寺の須藤隆仙住職の読経の中で焼香し、同会の木村美保子さん(74)が碑文を朗読し、浅利代表が追悼文を読み上げた。 駒止町(現弥生町)で空襲に遭い、祖母と弟を亡くした木村さんは「東日本大震災のがれきの映像を見て、8歳のときに自分が見た記憶がよみがえった。天災は避けられないが、人災の戦争は繰り返してはだめ」。千葉県市原市在住の松本絹子さん(80)は札幌の姉、めいと3人で参列し「66年の時を経ても手厚く供養していただくことを、函館空襲で亡くなった父も喜んでいると思う。本当にありがたい」と話していた。

 境内の慰霊碑には、道内上空で亡くなった米軍兵士の名前も刻まれ、米国セントルイスの教会の土も埋められている。浅利代表は「戦争に勝っても負けても亡くなる命はみな尊く、供養の思いも同じ。悲しみは尽きないが、歴史から学ぶべきものがある。この惨事を伝えていくためにも客観的な調査と証言などの記録を残す必要がある」と強調していた。

提供 - 函館新聞社


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