世界平和 心に刻む
update 2011/7/5 10:00
函館市内の戦争被災地を見回って調べる「ピースウオーク11」がこのほど開かれた。参加者らは函館山要塞跡から称名寺周辺を辿りながら、多くの命が失われた函館空襲に思いをはせた。
北教組函館支部の主催。北教組の会員や市民など25人が参加。案内役は「函館空襲を記録する会」の浅利政俊代表(80)が務めた。1945(昭和20)年7月14日から15日にかけ、アメリカ軍の戦闘爆撃機が函館港や函館市街地を襲撃。船舶や家屋が破壊され、多くの死者や負傷者が出た。同会では戦争の悲惨さを伝え、風化させないよう、さまざまな活動をおこなっている。
浅利さんの解説で函館山要塞跡を見学後、山のふもとにある青函連絡船殉職者慰霊碑に移動。この日は、第4青函丸の船長として函館空襲で殉職した沼田亨さん(享年35)の長女、吉村征子さん(73)も参加した。吉村さんは「戦時中の体験を伝えられる人は少なくなった。戦争のこと、父のことを通じて伝われば」とし、空襲直前の家族のやり取りや殉職の知らせを聞いた時のこと、。女手ひとつで5人の子どもを育てた母について振り返った。文献では伝えられない当時の様子に、涙を浮かべる参加者の姿も。函館空襲について理解を深め、世界平和を心に刻んだ。
その後、称名寺(船見町18)境内にある函館空襲犠牲者の慰霊碑前に移動。浅利さんは米兵の名前も記されていることに触れ「怨親(おんしん)平等の精神である。敵、味方関係なく、亡くなっていった人を悼みむことが平和につながるはず。これが平和活動の原点」と解説。「子どもたちこそ宝。これからもかつての戦争から学び、平和を伝えてほしい」と呼びかけた。
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