鉄道好きの父へ、天国からの親孝行 亡き息子の写真 市電の写真展に

update 2011/6/24 11:15


 函館の街を走る路面電車に1枚の写真が揺られている。重い心臓病を患い、18歳の若さで亡くなった神奈川県川崎市の高校3年生、新井崇泰(たかやす)さんの作品だ。修学旅行で函館市電のある風景をカメラに収めた。無類の電車ファンの父和則さん(52)に贈った最後のプレゼント。函館市交通部が公募した写真展にその1枚が並び、天国からの親孝行を果たしている。

 「崇泰は電車を撮りたかったんじゃない。写真には僕への思いやりが写っている」。2008年6月13日。崇泰さんは日本工業大付属駒場高校3年の修学旅行で初めて北海道・函館を訪れた。出発前、和則さんが「好きなものを撮ってこい」と渡した小さなデジカメ。戻ってくると、そこには和則さんが好きな電車が写っていた。

 幼少期から野球が大好きだった崇泰さん。甲子園を目指して白球を追っていた07年冬。ランニング中に激しい動悸(どうき)が走り、病院で心臓の弁に障害が起きる「弁膜症」と判明した。やむなく野球を断念し、08年8月には人工弁に取り換える手術を控えていた。

 その直前の道内への修学旅行。函館は最終目的地だった。朝市のイクラ丼、五稜郭タワーに鎮座する土方歳三、手ぶれがひどい函館山の夜景…。写真の数はどこよりも函館が多かった。「たくさんの感動を残したかったんだと思う。帰宅して函館の歴史や海の幸のことを笑顔で話してくれたのを昨日のことのように思い出す」

 そんな青春のひとこまに函館市電の復元チンチン電車「箱館ハイカラ號(ごう)」があった。だが、車体は先頭の一部だけ。鉄道写真にはうるさい和則さんは「構図や露出なんてお構いなし。目の前に突然、珍しい電車が現れて、慌ててシャッターを切った姿が目に浮かぶ」と評し、「電車なんて興味持たなかったのに…」と絞り出すように続けた。

 崇泰さんが心不全で急逝したのは撮影日からわずか24日後だった。あれから間もなく3年。たまたま和則さんがインターネットの鉄道ファンサイトで市交通部が路面電車の写真を公募していることを知った。「息子が生きた証しを残したい」。正直、直視することもつらかった写真の応募を決めた。

 市交通部は30日まで「走る写真展」と銘打ち、723号車(サンクス号)に一般公募した市電がテーマの写真35点を展示している。和則さんは言う。「函館の市電は函館を代表する景色になっている。息子の人生の最期に最高の思い出をくださった街に、人に、感謝したい」。息子の足跡をたどり、函館市電の撮影旅行に訪れる日を夢見る。

提供 - 函館新聞社


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