大震災3カ月、派遣医師ら 被災者や病院支える医療を
update 2011/6/12 11:38
東日本大震災の被災地の医療機関は壊滅的な被害を受け、全国各地から医療支援が行われ、函館からも医療従事者が被災地で支援に当たっている。震災から3カ月が経過し、被災者を救う医療から、地元の医療機関の支援や被災者の心のケア、生活を支える医療が求められている。函館から実際に支援活動をした医師や看護師から被災地の医療の現状や課題を聞いた。
函館赤十字病院(赤澤修吾院長)は日本赤十字社北海道支部の要請で4月1日に岩手県釜石市、5月¥19¥日には同県陸前高田市に救護班を派遣した。班長として2度とも被災地に赴いた枝沢寛副院長は復旧を感じる一方で「避難所によってまだ支援の格差がある」。感染症対策に関して「学校のような大きな避難所であれば、隔離部屋を設けることはできるが、小さい避難所では難しい。早急な対策が必要」と指摘する。
2度目の陸前高田市では、地元の中学校の特別室を救護所とし、支援に当たった。震災後の混乱期を脱していたが、避難所となっている体育館には500人ほどが生活。「避難所が一つの家のように居住空間になっていた。他人を拒絶する空気が漂い、巡回診療もはばかられた」と振り返る。
滞在中、仮設住宅の抽選日が行われ、避難所でも当落の明暗がくっきり分かれ、当選者が素直に喜べない光景を目の当たりにした。
日本赤十字をはじめ、日本医師会などが開設している救護所などの医療費や薬代は無料。被災してから救護所に通院する被災者も少なくない。やがて救護所は撤収するが、地元の医療機関に再び通院すると通常の保険診療で3割負担となる。枝沢副院長は「多くが被災して財産を失った状態。急激な負担増になりかねない」と気に掛ける。「地元の医療機関との連携を図り、被災者には十分な説明も必要。行政の特例的な措置の検討も必要では」と語る。
一方、函館渡辺病院(増岡昭生院長)は5月¥20¥日、同県山田町に精神科の専門医ら心のケアチームを派遣した。主に同町の町職員の精神ケアを担当し、地元の保健師の紹介で1日当たり数人を診療した。夜眠れないと、不安を口にする人、激務から持病のうつを悪化させた管理職もいた。
そのころ、被災していた病院が復旧し始めたこともあり、患者の多くがなじみのある地元の病院を受診。道内や他県から派遣された支援チームへの受診ニーズは減少傾向にあったという。
本間和浩副看護部長は「地元の病院は患者であふれ、現場の負担は増している。責任持ってマネジメントする人が必要と感じた。行政職や医療・福祉従事者など地元で支援業務に当たる人の支援も課題」と指摘する。
また、加藤勉副看護部長は「避難所にいた被災者が仮設住宅などへと移り住むと、安ど感とともに将来の不安や悩みが現実化し、精神疾患として症状が現れる可能性がある。長期的な視点に立ったサポートが必要」と話している。
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