知内で日本初ベトナム銭「開泰元寳」が出土 涌元古銭から発見
update 2011/5/23 10:03
函館高専の埋蔵文化財研究会が調査を行っていた涌元古銭から、ベトナム・陳朝の「開泰元寳」(かいたいげんぽう、1324年)が確認された。同研究会顧問の中村和之教授(日本史、アジア史)によると、国内で「開泰元寳」の出土例は初めてで、関係者らは驚きと喜びに沸いている。
涌元古銭は1951年(52年の説も)、知内町涌元地区にある私有地の道路工事の際に出土し、現在は997枚が残っている。
同研究会は、和紙に文字を写し取る拓本(たくほん)を作っては古銭を読み取り、成分の分析や、同じく道南で出土した志海苔古銭との比較などを行ってきた。今回発見した「開泰元寳」は、最初泰≠フ文字が読み取れず、保留にしてあったという。
中村教授(副校長)によると、古銭の文字列は上から時計回りに読む順読≠ニ、上下右左に読む対読≠ェある。そのため「開○元寳」と「開元○寳」の2通りが考えらた。資料により12の候補があげられたが、「開泰元寳」の日本での出土例がなかったことから、結論を出さないまま、ほかの古銭の調査を行っていたという。
5月15日、同じく顧問の高橋直樹准教授らが未読の古銭があったことを思い出した。改めて資料と照らし合わせ「開泰元寳」ではないかという結論を出し、考古学の権威である下関市立大の桜木晋一教授と、中国考古学からアジア銭を研究している専修大学の三宅俊彦講師に拓本や写真データなどを送信。すぐに両者から「間違いなく開泰元寳である」との返事が返ってきた。加えて日本初の出土であることも認められた。
前例がない分、他との比較ができず、歴史的に考えてもなぜ道南で見つかったのかという疑問がある。これについて中村教授は「室町時代に日本に来た南蛮船が、港に立ち寄った際に使ったものでは。ルートとしては日本海側を津軽の十三湊などを経由して北上したと思う。埋めたのは15世紀と考えられる。お金の埋葬は備蓄銭である場合が多い。1457年には渡島半島でアイヌと和人によるコシャマインの戦いがあった。もしかしたら、それも関係があるかもしれない」と推測。「歴時学的に考えても、あまりに想定外。正直、まだわからないことも多いが、古銭から見える歴史にロマンを感じる」と語った。
また、22日に同研究会が拓本を取っていたところ、同じくベトナムの「景統通寳」(けいとうつうほう、1498年)が新たに見つかった。これまで涌元古銭では中国・明の「宣徳通寳」(せんとくつうほう、1433年)が最新とされていたため、埋蔵年が大幅に更新。部員らは「これまで発見していたものより65年も新しい。大きな発見が2度も続くなんて」と驚きの表情だった。
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