元総務庁長官・佐藤孝行氏が死去、漁業整備など尽力
update 2011/5/20 10:23
北海道旧3区(現8区)選出の自民党元衆院議員で、総務庁長官を務めた佐藤孝行氏が18日午後、東京都内の病院で胆管がんのため死去した。83歳。道南の漁港整備や水産振興、農業基盤整備などに尽力する一方、ロッキード事件で受託収賄罪に問われ有罪判決を受けた。通夜は20日、告別式は21日に都内で、親族のみで行われる。
1928年、桧山管内北桧山町(現せたな町)生まれ。明治大学政治経済学部卒。日魯漁業の創業者の一人、平塚常次郎衆院議員の秘書を経て、63年に旧衆院道3区から立候補して初当選。通算で11回当選を果たした。
運輸政務次官だった72年にロッキード社からの大型機導入に絡みわいろを受け取ったとして、76年に起訴。86年に有罪判決が確定した。76年の衆院選で落選、79年に返り咲いた。97年の第二次橋本改造内閣で総務庁長官として悲願の初入閣を果たしたが、党内外からの批判を受けて就任から12日で辞任した。
中選挙区時代は、北海道開発庁長官を務めた故阿部文男氏、厚生大臣を務めた故田中正巳氏とともに道南の保守王国を築いた。しかし、佐藤派、阿部派の対立は、のちの保守分裂を招いた。
小選挙区に移行した96年の衆院選で民主党の鉢呂吉雄氏に敗れたが、比例代表で復活。木戸浦隆一氏の病気辞任に伴う99年の函館市長選では、自民党道議だった畠山博氏の擁立に回り、木戸浦氏が後継に立てた井上博司氏、民主系候補ら5人が激戦を展開、井上氏が勝利した。
2000年の衆院選で再び鉢呂氏に敗れ、政界を引退。次男の佐藤健治氏が後継となり衆院選を3回戦ったが、当選はならなかった。党内からも「健治氏初出馬時の擁立劇が不透明」との批判を浴びた。
北桧山の寒村出身で、党内きっての漁業通を自任していた。日韓漁業協定など国際的な漁業交渉の舞台に立ち、函館道南でも数々の漁港整備や水産振興に努めた。直系の道議や函館市議を束ねたが、保守分裂の影響などで権勢は徐々に失われていった。
函館の政界関係者は「『名もない寒村へき地で生まれ育ったことが政治家の原点』というのが口癖だった」「政治家として一時代を築いたが、晩年は不遇だった」と語る。
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