遺体に尊厳 弔いの心胸に 霊柩車協会が被災地で活動
update 2011/3/31 12:47
東日本大震災で大きな被害を受けた東北地方に全国各地から援助の手が差し伸べられる中、全国霊柩自動車協会(坂下成行会長、600社)は身元が判明した遺体を搬送するなどの支援を行っている。岩手県からの要請を受け、函館をはじめ道内からは35人が17〜25日の間に盛岡市を拠点に遺体の搬送作業などに携わった。現地で実働隊の指揮を執った、亀田葬儀社社長の川道一司さん(45)が現地の様子を語った。
同協会の会員は、阪神淡路大震災などの際にボランティアとして現地で活動し、南西沖地震では奥尻にも出動した。今回は16日に岩手県の要請を受け、県緊急輸送現地対策室がある盛岡市には、道のほか青森や秋田、新潟など7県の会員も駆け付けた。
◇奥尻の教訓生きる
川道さんは南西沖地震では奥尻にいた親戚を多数亡くしたにもかかわらず、自身はボランティアとして遺体の搬送に携わった。「奥尻の時は全国の皆さんにお世話になった」と奮い立ち、被災地の惨状を目の当たりにして当時の奥尻が脳裏によみがえった。「峠を越えると一瞬で景色が変わり、津波が来たことが分かりました。まるで『はだしのゲン』の世界だった」。
通常の仕事とは異なり、盛岡の本部から遺体安置所、役場、火葬場と回り、最後には遺族を避難所まで送り届けねばならなかった。2人1組で動くが、1日の移動距離は600キロにもなった。過酷な状況の中で「長距離輸送で鍛えられている道内の会員はタフだった」と振り返る。
身元が分かる遺体は数少なく、見つからない人からは、ねたみの声も。極限に置かれた人間の様を見せつけられた。「言い表せないほどつらい状況だったが『やらせていただいている』という気持ちで懸命に動いた」。
奥尻での活動後に同社が提案した2遺体搬送できる霊柩車は、夫婦や親子に対して「焼く時は別でも、せめて同じ車で同じ道を走らせてあげたい」という遺族の願いを叶えた。「こんな時なのにきちんと送り出せた」と、感謝の気持ちを表そうと配給を受けたおにぎりを差し出した遺族もいたという。 川道さんは現在通常の勤務に戻ったが、あくまで待機中。既に宮城県からの要請が来ており、いつ招集されるかわからない状況だ。岩手では的確な情報と、これを受けてすぐに動ける体制の必要性を痛感した。「宮城に行ったらはたして生きて帰れるか分からない。けれど弔いの心を大切に、一人でも多くの遺族を安心させたい」。
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