東日本大震災、集落再建に南西沖地震の教訓生かして

update 2011/3/22 10:51


 【江差】北海道南西沖地震や有珠山噴火の被災地では、将来にわたり被災の可能性が低い安全な地域に集落を移す、防災集団移転が行われた。今回の東日本大震災では、宮城県や岩手県の沿岸地域が壊滅的な被害を受けたが、集落再建にはこうした教訓を生かして欲しいとの声が上がっている。

 1993年の北海道南西沖地震では、奥尻町の青苗地区が大津波と火災で壊滅的な被害を受けた。こうした地域では、住宅などの再建を行わず、安全な高台に集落を移転。市街地の前面には、防潮堤や水門を建設したり、3〜6メートルの盛土で地盤のかさ上げを行うなどの恒久対策を講じた。

 北海道東北6県町村会協議会長も務める、寺島光一郎乙部町長は、東北地方の被災地復興を視野に「奥尻町のケースを参考に、壊滅的被害があった市街地は、高台など安全地域に移転ができるよう、政府が早急に財源や立法措置を講じるべきだ」と訴える。

 2000年の有珠山噴火では、市街地から約1キロの距離で噴火が発生した洞爺湖温泉地区の住宅街が、噴石や熱泥流で大きな被害を受けた。道を中心に、将来の噴火に伴う危険度予測をもとにA〜Cまでの3ゾーンを設定。最も被害が大きいAゾーンは、市街地の復旧を行わず、Bゾーンは、将来の噴火に伴う危険性を考慮して、病院、学校、保育所などの公共移設や一般住宅などを、安全な地域に再建し、跡地には砂防ダムなどの防災施設が整備された。

 被害が軽微だったCゾーンでは、20〜50年周期とされる噴火に備えて、住宅などの新築を規制し、既存の住宅についても、中長期的に移転を促すことが検討されたが、住民の反対や財源問題から、実現は見送られた。当時の道庁関係者は「震災を契機に災害の危険性がある住宅などをあらかじめ移転させる、減災対策を再考すべきだ」とする。

 東日本大震災では、波高や衝撃力など、設計時の想定を大幅に超える巨大な津波に襲われ、防潮堤や締め切り水門などが機能を果たさなかった。北海道南西沖地震をはじめ、何度も大津波に襲われた桧山沿岸では「自然災害は人智を超える。防波堤などハード面だけの整備には限界があることを実感した」(ある町幹部)との声も上がる。

 少子高齢化が進む桧山沿岸では、人口減少により、コミュニティーの維持が困難となる限界集落≠ェ広い範囲に点在する。上ノ国町の沿岸では、南西沖地震を契機に、11カ所の津波避難路が整備されたが、住民からは「若者が減り、冬季の除雪など維持管理が難しい」との声も。地域の高齢者は「災害時に高齢者だけで速やかに避難ができるか不安」と漏らす。管内の行政関係者は「東北関東大震災を受けて、過疎地域の集落再編や集団移転といった、国土のあるべき姿を抜本的に見直す議論が必要な段階に入ったのではないか」と指摘する。

提供 - 函館新聞社


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