函館大火 風化させてはならない きょう77年

update 2011/3/21 16:48


 吹き荒れる強風、広がる猛火―。まちの3分の1を焼き尽くし、2100人超の死者を出した「函館大火」から、21日で77年を迎える。当時春日町(現青柳町)で被災した信太(しだ)政さん(82)は、この時期になると悪夢がよみがえる。「二度と体験したくない。風化させてはならない」―。

 信太さん一家が異変に気付いたのは、強風で吹き飛ぶ屋根が窓から見えた時だった。1934(昭和9)年、3月21日午後7時前。様子見へと付近の高台へ駆けた父がなかなか戻って来なかった。母、姉、兄の3人と家を出る。みぞれの降る闇夜には、住吉町方向から燃え盛る真っ赤な炎が浮かび上がっていた。母が叫んだ。「逃げろ」

 迫りくる熱風と火の粉を背に、火の海の中を必死で走った。向かうは大町に住む叔母の家。護国神社、二十間坂、そして市電通りへ。途中、見下ろした函館の街並みは阿鼻(あび)叫喚のちまたと化していた。地獄だった。

 姉が背負う風呂敷に火が付いた。消火に追われながら、なおも大町方向へと駆ける。大勢の住民が避難する中、午後8時過ぎに叔母の家にたどり着いた。やがて父もやって来た。一家は無事だったが、わずか1時間の間に見た光景が信じられなかった。

 大火は翌朝に鎮火。岸辺から望む大森町、住吉町はがれきの山で、所々白い煙が上がっていた。まちは、家族は、暮らしは―。当時小学1年生。歳月が流れても、あの夜まちをなめつくした猛火と烈風は一生忘れられない。

 3月21日。被災者が眠る寺院で、今年も静かに手を合わせる。

提供 - 函館新聞社


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