救援は物資より義援金で
update 2011/3/14 10:18
【江差】1993年の北海道南西沖地震では、被災地に大量の救援物資が寄せられたが、中継場所になった桧山南部4町では、保管や仕分けに当たる人手不足から、大きな混乱が生じた。東日本大震災でも、食料や毛布などの不足が伝えられるが、受け入れ体制に問題があるため、各町では、個人レベルの物資提供は当面自粛し、義援金など被災地の負担にならない支援が必要との声が上がっている。
南西沖地震では、全国から6万個もの救援物資が寄せられた。受け入れ支援を行った江差、上ノ国、厚沢部、乙部の4町では、物資を体育館や倉庫などで保管。段ボール箱を開封し、食料、衣類、飲料水、医薬品などの品目別に仕分けを行い、再び箱詰めして奥尻町に発送したという。
ボランティア関係者は「被災地では、仕分けや保管に多くの人員を割くことができない。個人からの救援物資は内容や量もまちまち。まとまった量を確保できなければ現地でも活用できない」とする。
物資の中には、腐敗した生鮮食品、使用期限が切れた医薬品、故障した電化製品、使い古しの破れた衣類、汚れが残ったままの下着類もあったという。当時の関係者は「善意を疑わざるを得ない物もあった」とする。こうした物資は、焼却処分にせざるを得なかったが「善意を無駄にしている」との厳しい批判にさらされ、作業に当たった地元関係者を落胆させたという。
東北地方では、鉄道や船舶をはじめ、郵便や宅配便などの輸送系統が混乱。大量の救援物資が流入することで、混乱に拍車を掛けることも予想される。当時、桧山支庁で勤務した道職員は「有形無形の善意は大切だが、現地のニーズに応じて使途を決められるのは義援金だ」とし、救援物資の発送は、公的機関の呼び掛けによる物に限り、各種団体を通じた義援金が、最も被災者のためになると訴える。
また、南西沖地震では、道が把握しただけでも個人、企業、団体など総勢9000人のボランティアが全国から駆け付けた。2000年の有珠山噴火に派遣された経験もある道職員は「殺到する個人ボランティアの受け入れや、業務内容、宿泊場所や食料の手配は、被災直後の町役場などに大変な負担になる。当面は自活能力がある団体に限るべきだ。公的機関を通じて、受け入れの可否やニーズを確認してほしい」と呼び掛ける。
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