勝山館跡に多数の柱穴 中世の物見跡か

update 2010/10/21 11:18


 【上ノ国】戦国時代の山城・勝山館跡(国指定史跡)の発掘調査を進めている上ノ国町教委は20日までに、城外との往来や本州との交易で栄えた港の様子を見張る物見跡とみられる多数の柱穴を確認した。23日午後1時半から現地説明会を予定している。

 勝山館は、松前氏の祖・武田信廣が15世紀後半に築いた山城。町教委は1979年から発掘調査を継続。ここ数年は城の入り口に当たる北端部の調査が進んでいる。本年度の発掘調査は、勝山館の入り口付近にある旧笹浪家住宅(重要文化財)や上ノ国八幡宮の裏手に当たる尾根沿いで行っている。

 現地には尾根を削って作られた4段の平地がある。2段目の先端付近では、幅約2メートル・長さ約6メートルの範囲で複数の柱穴を発見した。現在の国道付近には、本道と本州を結ぶ重要な交易拠点だった港があり、町教委の塚田直哉学芸員は「現地は見晴らしがよく、外敵の侵入を防ぐ防御施設というよりは、交易のために多くの船が行き来した港や海の様子を監視する施設があったのでは」とみる。

 現地では、江戸時代に松前藩主が勝山館跡にあった館神八幡宮と夷王山山頂の夷王山神社を参詣するために整備されたとみられる道路跡なども見つかった。また、発掘区域では、和人の墓とみられる遺構も確認した。勝山館背後の夷王山東斜面にある600基を超える、和人やアイヌの墓が密集する「夷王山墳墓群」は有名だが、2008年以降の調査では、城の入り口に当たる北側でも、多くの墓が見付かっている。塚田学芸員は「墓は当初の予想を超えて城の入り口に当たる北側にも広く分布していることが分かってきた」と話す。

 説明会の希望希望者は旧笹浪家住宅に集合する。問い合わせは町教委0139・55・2230。

提供 - 函館新聞社


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