秋保さん青函連絡船洞爺丸のメニュー再現へ
update 2010/9/10 11:21
青函連絡船洞爺丸が沈没した昭和29(1954)年9月26日、同船にコックとして乗り組み生還した函館市の秋保栄さん(77)が、慰霊のため同船の食堂で提供していたメニューを再現する。沈没から56年目を迎える26日、遺体が運ばれた函館市大森町の慰霊堂で実行委が法要を行い、函館大妻高校生徒の協力を得て、同メニューを振る舞う食事会を開催。秋保さんは沈没時の貴重な体験を証言する。
洞爺丸は台風15号(洞爺丸台風)により4隻の貨物船とともに沈没。約1400人の死者を出した海難事故は日本最悪とされる。約200人いた生存者は高齢化が進み、長年にわたり調理師や調理講師として活躍してきた秋保さんも、このほど表舞台から去ることを決めた。引退をきっかけに、「函館市民にすら忘れられていく存在」(秋保さん)と感じる洞爺丸沈没のことを、次の世代に伝えたいと考えた。
秋保さんは山形県戸沢村の出身。19歳で鉄道弘済会船舶函館営業所で働き始め、系列ホテル勤務を経て青函連絡船の食堂調理員となった。沈没当日は別の連絡船大雪丸に乗る予定だったが、洞爺丸の人手が足りなくなったため、急きょ同船に乗り組むことに。船内に海水が入ってきた時のことを「船がかっぱがって、そりゃあ大変だった」と振り返る。
法要は「青函連絡船洞爺丸他四隻沈没事故法要実行委員会」(発起人代表・池田延己函館大妻高校校長)が主催する。26日午前11時半から慰霊堂で、祭壇を前に犠牲者を弔い、同日午後1時からは同校で食事会を開催。当時食堂で出していたエビフライやビーフステーキ、ポークカツレツなど6品目を提供する。会食後、秋保さんが食事会の出席者を前に、当時の様子を伝える。法要は参加自由だが、会食は事前に招待した関係者のみに限定する。
料理は、秋保さんが講師として何度も足を運んだ同校の生徒が調理する。9日、同校で再現のための講習会が行われ、当日調理を担当する食物健康科の3年生(38人)が参加した。秋保さんは「26日には供養の気持ちを込めて調理してほしい」と話し、エビフライとポークチャップの2品を伝授。「豚肉は、幅の広い方を左にして置いて」などと注意点を伝え、実際に調理した。
秋保さんの「料理はよく見て、作って、食べることが重要」の言葉に従い、生徒全員が調理実習と試食をした。参加した榎麻理菜さんは「最初聞いた時は重大な役目なので大変だと思ったが、当日は気持ちを込めて料理を作りたい」と話していた。
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