函館大火 風化させぬ 77回忌慰霊法要

update 2010/3/22 15:46

 函館大火殉難者77回忌慰霊法要(函館市仏教会主催)が21日、函館大火慰霊堂(大森町33)で行われた。犠牲者の遺族や大火経験者、消防署員、市職員ら計53人が参列。読経と焼香で犠牲者の冥福を祈るとともに、歴史的な惨事を後世に伝え、防火・防災に努める決意を新たにした。

 函館大火は、1934(昭和9)年3月21日午後6時53分に、市内住吉町から出火。最大瞬間風速30メートル以上の猛烈な風で、すぐさま火は広がり、当時の市内の3分の1を焼き尽くした。

 翌22日午前6時ごろに鎮火したものの、死者2166人、行方不明者662人、負傷者9485人を出す惨劇となった。死者のうち身元不明は679人に上り、無縁仏として函館大火慰霊堂に納骨されている。

 法要では市仏教会の僧侶が読経する中、参列者が焼香。犠牲者への思いを胸に、手を合わせた。会場には、大火直後撮影の写真も。函館駅前付近の焼け跡、焼け落ちた大森橋、避難先・安否の掲示場となった交番…。惨事に見舞われた市民の姿が時を経て、教訓となり、未来に生きる人々に防火の心構えを伝えた。

 9歳のときに旭町で被災し、母親を亡くした高盛町在住の近藤幸治さん(86)は「けさの強い風はあのときとそっくりで、大火を思い出し、何とも言えない気持ちになった。亡くなったみんなの冥福をこれからも祈りたい」と涙で話していた。

 法要後に予定されていた、市消防本部や消防団員、地域住民(町会)による火災消防訓練は、荒天のため中止となった。

 函館大火慰霊堂は、大火発生年の9月21日、全国からの義援金で現在地に仮堂を建立。翌年3月21日に市主催の「焼死者慰霊祭」が開かれ、38年9月に現在の慰霊堂(鉄筋コンクリート造り)が建立された。

提供 - 函館新聞社




前のページにもどる   ニュースをもっと読む



ご注意:
●掲載している各種情報は、著作権者の権利を侵さないよう配慮の上掲載されるか、又は、各情報提供元の承諾の元に掲載されています。情報の閲覧及び利用については「免責事項」をよくお読み頂いた上で、承諾の上行って下さい。
●掲載中の情報の中には現在有効ではない情報が含まれる場合があります。内容についてはよくご確認下さい。

ページ先頭へ

e-HAKODATE .com
e-HAKODATEは、函館市道南の地域情報や函館地図、旅行観光情報、検索エンジンなど、函館道南のための地域ポータルサイトです